ウトゥ/シャマシュ神はメソポタミアで広く信仰された太陽神であり、世界最古の太陽神の一柱である男性神であった。ウトゥ、シャマシュはいずれも太陽を意味し、シュメル語ではウトゥ(utu)、アッカド語が中心に使用される時代になるとシャマシュ(Šamaš)と呼ばれた。頻繁に見る名ではないが、サルム(Salmu)神という神もウトゥ神と同一視されていたようだ。
ウトゥ神とシャマシュ神は元々別の軸を持つ神であったと思われる。理由は元のシャマシュ神は女神であったからだ。前3000年紀のアッカド語の文献に、ウンミ・シャマシュ(「わが母はシャマシュ神」の意味)という名前の人物がおり、女性であることを伺わせるうえに、明らかに関係のありそうなウガリト市の太陽神シャパシュは女神の姿で描かれている(古代オリエントの神々 51p)。恐らくシャマシュ女神はシュメルの太陽神ウトゥと習合し、男神に変容したと考えられる。
メソポタミアでは名付けの際に固有名詞をわざわざ創ることはあまりない。神の名前は元からある単語に神の限定符ディンギルを付けることで表される。月を意味するナンナにディンギルが付くと月の神ナンナの名前になり、太陽を意味するウトゥにディンギルが付くと太陽の神であるウトゥ神の名前になる。 恐らくシュメル語からアッカド語に公用語(のようなもの)が移り変わり、シュメル語の神々の名前がアッカド語に翻訳された時、太陽を意味するシャマシュの名を冠するアッカドの神がウトゥ神と無関係のところで存在していたためウトゥ神とシャマシュ神が習合され、女神であったシャマシュ神はウトゥと同じ男性神になったのだろう。 最近流行りの男体化を既に行っていたというのか…。イナンナ/イシュタルも元は別の神であったのでメソポタミアではちょくちょくあることではあるのだが、性別まで変わってしまう例は珍しい。割と文章を割いてしまったがファンタジーに登場させるには面白い設定だと思い丁寧に記述させていただいた。
目次
もっていた役割
メソポタミアでは神の持つ役割は多岐に渡ることが多く、結果として遠く離れた分野の能力を複数持っていることも多い。イナンナ/イシュタル女神は有名な例といえるだろう。もちろん様々な考古学的な物証から役割が離れた理由の推測は可能であるが、ウトゥ/シャマシュ神の能力は全て「太陽らしい」ことに集約するため非常に分かりやすい。
メソポタミアでは主要な神のほとんどは天体と結びついている。エンリル神は牛飼い座、イナンナ女神は金星といった形だ。ただ、これは副次的なものであり、主人格と結びつきやすい星が選ばれたに過ぎず、天体の特性によって神が影響を受けることはほとんどない。 しかしウトゥ/シャマシュ神と月の神ナンナ/シン神は名前そのものが天体の名前であり、そもそも天体にその存在を委ねている。これは他文明の多くの太陽神にいえることであり、多くの太陽神は「太陽っぽい」概念に関する能力を持っている。 大事なのは当時の人々が何を「太陽っぽい」と思っていたかだ。
日本では太陽が赤く、アメリカでは太陽は白いように国や文化によって「太陽っぽさ」は異なる。メソポタミアでは太陽がどのような存在と思われたかを知るのにウトゥ神はこれ以上ない存在であるといえる。ちなみに、メソポタミアでは太陽は白いと考えられていたようだ。
「太陽」の神
前述の通り「太陽っぽい」能力ばかりなのだから必然的に全て「太陽」の神に集約されるのだがここでは「物理的な太陽」との関わりを紹介したい。そもそもメソポタミアでは天体は神そのものではない。星々より上にいる神の光が我々にも見えているのだと考えられており、宇宙は無限の広がりではなくドーム状の天蓋のようなものだと考えられていた。
そして太陽が動いて見えるのはウトゥ/シャマシュ神がドームの上を動いているからであり、彼は夜間は冥界に降りて冥界で太陽の役割を果たし、夜明けの時にのこぎり状の刃を持つ武器で地を切り開き山から立ち上ってくるのだと思われた。このように彼の日々の活動は実際の天体の太陽と深く結びついており、ずっと動き回っていると思われた。
彼が切り開く山は標準版『ギルガメシュ叙事詩』第九書版によると二つの頂きのあるマーシュという山であったそうだ。この山は東に位置し、毎朝この山の間にある門から太陽が昇っていたそうだ。門があるのにのこぎりが必要というのもおかしな話だが。
その門は冥界と地上を繋ぐものであったようだ。その後空を横切っている間彼はすべてのものを見て、夕方になるとこれまた西にある門から再び冥界にはいり、夜間は冥界を航行すると考えられた。また冥界を航行するのではなく、そこに一晩休む部屋があると考えられていた場合もあった。
結びつきは活動だけでなく地位も含まれる。メソポタミアに限らずとも太陽の神と聞けば我々は偉大な神なのだろうととりあえず推測されるのではなかろうか。特に日本では天照大御神の影響もあり少なくとも低位の神ではあり得ないと考えるのが自然だろう。メソポタミアでも家畜を持ち農耕を行っていたため太陽の光がどれほど重要であったかは理解されていた。 しかし彼の地では日本やエジプトなどとは異なり太陽神の権威は月の神より低いと考えられている。これは太陰暦といって月を中心に暦を定めていたからだと考えられている。というわけで神としての彼自身の権威も実際の太陽の重要性と結びつき、月神より下の六位に留まることになる。
「冥界」の神
前述のように天界と冥界を行き来することから、シャマシュ神は生者と死者をつなぐ神とも信じられていた。 夜間は冥界を照らす太陽神シャマシュは、地上で生者の生命を脅かす冥界の悪霊、死霊などを制すると信じられていた(古代オリエントの神々 55-6p)。太陽神が冥界神の一柱に数えられているだけでも胸熱なのに、死霊も統べるなどと言われたら大好きになっちゃうよね。
「裁き」の神
太陽光の全てのものを照らす性質は重要視され、転じて全ての善行や悪行を見渡している存在だと思われた。そしてシャマシュ神はあらゆる真実を見抜き裁きを与える真実、正義および公正の神と考えられるようになった。お天道様が見ているという奴である。
ここまではいわば道徳的な話であり、人間の罪悪感に作用するかなといった程度であるが、彼の正義の神としての性質はそこだけに留まらなかった。彼は個人的な罪悪感を超えて「法」と「裁判」の神として崇められたのだ。 法の守護神、正義を守る裁判の神として「真実と正義の王」「裁き主」「運命を決定する方」などと呼ばれてウトゥ/シャマシュ神は祀られていたようだ。
裁判官の神として、シャマシュ神は『ハンムラビ法典』碑文上部にも浮彫で採用されている。 『ハンムラビ法典』粘土板の上部に彫られているハンムラビとシャマシュ神の二人が綺麗に現存しており、そこでは王権を象徴したのではないかと考えられている腕輪と王笏をハンムラビに与えている。また別の説では検地のための網と棒であると考えられている(メソポタミア全史 83p)。
しかし網と棒であったとしても神がハンムラビに土地の所有権を認めているということに他ならず、腕輪と王笏よりはカッコつかないかもしれないが本質的な意味は同一である。 また『ハンムラビ法典』の最後ではハンムラビがこの碑を傷つけたものに報いを与えるようシャマシュ神に頼んでいる。そんくらい自分でやれ。

ルーヴル美術館に寄贈されている。石碑の左に立っているのがハンムラビ王であり、右手を鼻の前に置く祈りの仕草を行っている。右側が玉座に腰かけたシャマシュ神で、神を意味する角冠を被り、両肩からは太陽の光線が出ている。足の下は鱗状に表現された山である。 『ハンムラビ法典』跋文に「天地の偉大な裁判官シャマシュ神」と記されている(古代オリエントの神々 58p)。

意外と見た事がないハンムラビ法典の形状。ルーブルに行ったことがある母親曰く見た事あるかもしれないが忘れたとの事。
「卜占」の神
「卜占の偉大なる王」と呼ばれ、卜占(占い)の神としても知られていた。メソポタミアでは比較的メジャーであった内臓占いを行う前にはシャマシュ神に呼び掛けいい結果が出るように頼んでいた。いやいや占いってそういうんじゃねーから!とツッコミたくなるところではあるがメソポタミアではそういうものだったのだ。
所謂預言(prophecy)と予言(predict)の違いである。預言は神に未来を教えて貰うことで予言は個人がなんらかの予知能力で未来の事を言い当てることである。どっちも現代の我々からすると怪しげなファンタジーに違いないが、当時は明確な違いがあった。人間に未来を言い当てる力などないと思われておりメソポタミアには予言はほぼ存在しなかった。
ではメソポタミアの卜占がどういうものだったかというと神々が何らかの形式で未来を記したものを発見しその意味を明らかにすることであった。彼らの価値観では神々が全ての物の定めを定めているのだから、鳥の飛び方や生まれてくる子供の人相にも何か意味があり、優しい神の一柱が未来の何かを人々に知らせてくれているのかもしれないと思われていた。 その中でもシャマシュ神は頻繁に未来の事を伝えてくれる神だと思われていたようだ。詳しくは卜占の項で。
運命は既に決まっているものだと考えられていたので、占いの際にお願いしていたのは分かりやすい結果である。メソポタミアの卜占は簡単にいうと結びつけの連続であり、ナマズが暴れたら地震が起こるといったようなものをひたすら集めたものになる。当然現代の視点でいえば当たっているものもあるが多くは因果関係がなさそうなものばかりである。 しかしそんな不確実なものであったとしても彼らにとって卜占は国政を揺らがすほど重要なもので、そうした結びつけの占いのリストを何万と網羅した学者が数人集まって、例えば内臓占いであればこの内臓の配置であればこの未来が訪れるだろうと議論しまくっていたようだ。
しかしそれほどの知識人が集まろうとも前例が全く見つからないケースもあったので、内臓占いのために羊に刃を入れる前に彼らはシャマシュに分かりやすい占い結果を出すように日頃からお願いしていたというわけである。メソポタミアの人々は国家レベルで占いを大事にしていたため彼の卜占の神としての活躍はかなり頻繁に見ることとなる。
また反対に一部の夜の神、名前はほとんど残っていないが夜にしかその能力を発揮しないと思われていた神にまつわる卜占や破壊の儀式、アッカド語でいうところのnamburbûという魔除けの儀式などは夜に行う必要があった。特にnamburbûはコウモリの血や砕いた蠍、生贄の山羊なども用いたため後の世から見れば黒魔術そのものだろう。明確に言及はされていないが、ウトゥ神のいない夜だからこそできる儀式というのもあるかもしれない。
「助言」の神
メソポタミアの偉大な神は基本的に人間の人生には深く関与しないスタンスであり、託宣を授けること自体稀である。ましてや七大神の一柱ともなればたかだか一人の人間に対して何かを行うことはほとんどない。
しかしウトゥ/シャマシュ神が「占いの神」足り得たのはメソポタミアの人々が太陽の光や熱がウトゥ/シャマシュ神から差し伸べられた「優しさ」だと考えていたからに他ならないだろう。 そんな彼の優しさがより直接的に表現されているのが残された英雄譚の数々である。シュメル神話では頻繁にウトゥ神が親切な脇役として登場している。
『ギルガメシュ神とフンババ』では、ギルガメシュの遠征にあたって合成獣の道案内をウトゥ神は遣わしている。しかも「杉の山」のフンババを倒す手助けをしている。しかしフンババも神の一味に当たるので、まあ様々な解釈が可能である。
『ルガルバンダ叙事詩』では、主人公ルガルバンダが祈りを捧げ、また病に倒れた時に助けた神がウトゥ神であった(古代オリエントの神々 53-4p)。
またこれらの特性から護符である円筒印章などの図柄に多数採用された。 今まで挙げた役割を総合して、彼らは太陽に対して非常にポジティブなイメージを抱いていたことが分かる。役割は総合して人の役に立つものばかりなのだが、人の役に立つからといって偉大ということにはならないのが神中心主義の世界観である。例えば、我々の価値観でいえば邪神といえるような行いをしている神が称えられることも頻繁にある。しかし同時に偉大さと人気が必ずしも比例しないのも神中心主義であり、心優しいシャマシュ神の信仰は長く後世まで続くことになった。
崇拝された場所
ウトゥ/シャマシュ神は、ラルサ市とシッパル市の都市神であった。アッカド王朝(前2334-前2154)初代サルゴン王の娘エンヘドゥアンナが編纂し、42の神殿が詠われている『シュメル神殿讃歌集』にはラルサとシッパルにあったウトゥの神殿も詠われており、両神殿ともにシュメル語で「白い(あるいは輝く)家」を意味するエバッバル(e²-babbar)神殿と呼ばれている(古代オリエント 51p)。
ラルサ市はウルク市の東方10kmに位置し、前4000年紀末の都市(集合)印章において既に昇る太陽を保つ祭壇で表現されていることから、かなり初期の段階から太陽神を祀る都市であったことが分かっている。 一方、シッパル市は交通の要衝で、アッカド王朝時代にはナラム・シン王(前2254-前2218年頃)に従属していた。アッカド王朝の王たちもシャマシュ神を信奉していたようで、王たちの奉献物がシッパルの神殿から発見されている。はるか後代の新バビロニア王国最後の王、ナボニドス王はナラム・シン王やサルゴン王の像をエバッバル神殿に埋めなおしているほどである。
ウル第三王朝時代にはシッパルは王朝の中心地域にあたり、古バビロニア時代(前2000頃-前1595年頃)にはバビロンの軍事、交易上の拠点として、歴代のバビロン王によって重要視されていた。 シャマシュ神に仕える女神官たちは王家や富裕階層の出身者たちで構成されており、中には居酒屋経営などの経済活動をする者たちもいたようで、太陽神の神殿はバビロニアで最も経済的に豊かな神殿の一つであった(古代オリエントの神々 52p)。 財宝はイシュタル女神と結びつきがちだがシャマシュ神の神殿もかなり裕福な部類であることは間違いないだろう。

ネブカドネザル2世の行ったシッパルのエバッバルの再建について説明した楔形文字の円柱。メトロポリタン博物館蔵。
神話上の活躍
ウトゥ神はその性質から神話上で最も人間(特に英雄)との絡みが多い神であるだろう。先ほど「助言」の神の項で挙げた例を除けば『エタナの伝説』において活躍していたりする。エタナの伝説では大蛇に騙されて穴に落とされた鷲の元にエタナを導き、後にエタナの相棒になる鷲との出会いを生み出している。
しかしそもそもメソポタミアの物語はまだまだ神々が中心で人類の英雄譚などそれこそ数えるほどしかない。メソポタミアの英雄などそれこそギルガメシュ、エタナ、アダパ、サルゴンくらいである。だが、サルゴン以外皆に手を貸しているのだから英雄叙事詩の歴史を鑑みるとかなり影響が強い神であるといえるだろう。更に彼ら英雄は一人一人が今の我々の物語に多大な影響を与えているし、ウトゥ/シャマシュ神がほとんど知られていない現状は実は非常に奇妙なものであるかのように思えてしまう。
神同士の絡みというとウトゥ神はそれほど多くない。シュメールの詩「ドゥムジの夢」では、ウトゥ/シャマシュ神がドゥムジ神を冥界に連れて行こうとしている悪魔から逃れるのを助けていて、英雄だけでなく神々の間でもお助けキャラだったようだ。
ここまでかなり株をあげているウトゥ/シャマシュ神であるが、最低な詩も存在する。 ウトゥ神が双子の妹であるイナンナ女神を酔わせて襲おうとする詩が残っているのだ。それに対して自由恋愛の女神であるイナンナ女神は、性交渉やキスさえも全く知らないように応える。言い訳しておくとこれは典型的なシュメールの詩の一種でどちらかというとイナンナ/イシュタル女神がどれほど魅力的かにフォーカスした作品であると思われる。 メソポタミアではイナンナ/イシュタル女神の魅力が実りの量に直結したのでこうしたイナンナ/イシュタル女神に男性の神が夢中になる作品は多いのだ。同時に処女性が重要なのでイナンナ/イシュタル女神が実際にどうこうしてしまうことはない。しかし酔わせるのもやばいし双子の妹なのもやばい。それほど普及したテキストでもないと思われるためこういうテキストを書いている人もいたという程度の認識にとどめておいてあげてほしい。
他の神々との関係
異説もあるが、月神ナンナ神とニンガル女神の間に産まれ、イナンナ女神と兄妹(一説には双生児)になるともいわれる。他の場合にはアン神が彼の親として扱われた。ちなみにアッシュルにはシャマシュ神とシン神が二人とも祀られた神殿が存在する。
彼の妻はセリダ(šerida)神またはアヤ(aya)神である。子供は私が調べるかぎり三人で、男神であるブネネ神はシャマシュ神の大臣かつ戦車乗りだったようで後の太陽神の伝統を思わせる。他は娘のキトゥ神(Kittu(m))「真実」、息子のミサル神(Mīšaru(m))「正義」と親ありきなのか、あるいはその名前だからウトゥ/シャマシュ神の子としたのかは分からないが、太陽神の彼の子にぴったりな名前の子神がいる。
メソポタミアで最も有名な儀式の一つといえる聖婚の儀がウトゥ神とアヤ神の間で行われた記録も存在しているAn157p 総合的に見るとシャマシュ神の家族神は認知度は低い神が多い。もちろん、メソポタミア全体でみるとウトゥ/シャマシュ神の家族というだけで十分価値があるのだが。
しばしばウトゥは「若者ウトゥ神」と、イナンナは「処女イナンナ女神」と表記されていることから、両神ともに若い神と想定されていたようだ。
随獣
初期のシャマシュの随獣?と呼ばれるような存在は牛人間であった。この牛人間がシャマシュ神の家臣だったのは旧バビロニア王国時代やカッシート王朝の時代のことで、彼ら牛人間はシュメル語ではグドアティム(gud-atim)、アッカド語ではクサリク(Kusarikku)と呼ばれることもあった。
これは元はバイソンを指す名詞なのだが、メソポタミア周辺のバイソンは前シュメル時代に絶滅しており、ほとんどの場合この牛人間を指す名詞となっている。 しかしこのクサリクは新アッシリア帝国時代になると悪魔的な存在になり、ちょくちょくウトゥ神のシンボルである太陽円盤を支える絵が発見される程度の関係になってしまう。最終的には悪魔に近づいたもののまだ守り神的な側面もある二面性のある怪物になっており、正にコンセプトがマッチした栄えあるティアマト・クリーチャーズにも採用されている。
では、牛人間から変わった後はどうなったのか。詳しい時期は分からないが、ある時期からシャマシュ神の髄獣は馬に交代する。 翼のある馬あるいはケンタウロス(人馬)が中期アッシリア時代の印章に見られ、またイシン第二王朝のネブガドネザル一世のクドゥルでは馬の頭がシャマシュのモチーフになっている。この頃には馬が戦車を引く存在として認知されていたため移動の激しい太陽神に相応しいと思われたのだろう。新アッシリア帝国のセンナケリブ王時代にはアッシュル神を先頭にした神々の行列図が描かれ、その中で神はそれぞれの髄獣の上に立っているが、シャマシュ神は馬の上に立っている。 この髄獣の変化はインド・ヨーロッパ語族の影響とする指摘もある。イラン起源の太陽神ミスラは馬を髄獣にしているし、インドの太陽神スーリヤは七頭、ギリシアの太陽神ヘリオスは四頭の馬にひかせた戦車で天空を行くと信じられていたおり、関連性が疑われる(古代オリエントの神々 59-60p)。

腰から上は人間だが、ライオンの後ろ足を持ち、カールしたライオンの尾を持っている小神(角帽をかぶっている)であるウリディンムも彼の随獣に数えられる。
このタイプの像は、クサリクの像と対になっていることもある。122p またカッシート王朝時代、新アッシリア時代、セレコウス朝にはライオンの頭を持ったヴァージョンのウリディンムもクサリクと共にシャマシュ神に仕えている。 このウリディンムは割と後世に創られた怪物でありクサリクやギルタブルルを参考にしたものだと思われる。
又、ウトゥ神は空を飛ぶ雄大なワシに例えられることが多かったが、随獣として連れているわけではなかった。
描かれ方
シャマシュ神が文章で表現される際には、長いあごひげがあり、長い腕をした神であると表現されている。これは古代の太陽神には普遍的に見られる特徴で、エジプトの太陽神アテンは円盤から下向きにのみ光線が出ていて、光線の先端が手になっているし、ゾロアスター教の太陽神ミスラも「長い両腕」を持つと考えられていた。(古代オリエントの神々 55p)。 つまり降り注ぐ太陽の光芒が手に見えると思われていたわけである。
しかし髭の生えた神はシャマシュの他にも多く、実際に図像として描かれるシャマシュ神は手が際立って長く書かれることも少ない。というわけで絵画上の彼を実際に見分ける方法(アトリビュート)は光の神としての特徴である肩から出ている光線か、のこぎり状の刃がついた武器になる。 この独特な武器を持っているシャマシュ神の図像は多い。朝昇ってくるときに山を切り開く道具であり、シャマシュが主宰する法定で判決を下す道具でもあった。
彼の扱う武器であるこの剪定鋸(pruning-saw)は神の武器として他に類を見ないので非常に創作向きではあるのだが、肝心の武器名がササッル(šaššaru)といってあまりグッと来る名前ではない。個人の趣味によるだろうが。 他にもメソポタミアの十字架は描かれること自体少なかったものの基本的にシャマシュ神、太陽を表していると考えられている。

これは現代のマルタ・クロスだがこれと似たような十字架がカッシート王朝ではシャマシュ神のために使われた。マルタ・クロスそのものとは偶然の一致である。

新アッシリア時代に用いられた十字架。同様にシャマシュ神を意味した。しかしこれは非常に珍しく通常は太陽円盤が用いられた。 引用:Black 55p
彼が切り開く天の門は二人の門番の神がいた。

他の象徴ともいえるRing Staff。この杖の持ち主はアダド神か、ウトゥ神に限られる。両者の共通点もこの物品の持つ意味も明瞭ではない。ウトゥ神の随獣であるクサリクも持つことがあった。神が持つのではなく独立した段階で描かれた初期にはどうやら動物の飼育に関連したものであったようだ(J.A., Cunningham154p)。

Solar Disc(太陽円盤)と呼ばれるものでアッカド時代から新バビロニア時代までシャマシュ神の象徴として登場している(168p)。
また翼の生えた円盤Winged Discもアッシュル神やニヌルタ神を象徴するものだと考えることもあるが概ねウトゥ神を象徴するものだと思われる。この円盤は頻繁にギルタブルルやラハムを伴って書かれる。
後世の扱い
紀元七世紀のイスラム教が入ってくる以前のアラブではシャムス神という明らかにシャマシュ神の影響を受けた太陽神がいたことが確認されている。名前を変えずにそのまま採用されている神もいるがなぜ彼の名前が少し変えられたのかは不明である。
ヘレニズム・ローマ時代になると、古代メソポタミアで祀られていた神々の足跡を辿ることが難しくなるが、それでもシャマシュ神についてはシリア砂漠の隊商都市パルミラ(現地名は古来タドモル)で祀られていた可能性がある。彼らの使用していた儀式の入場券や宴会の食事券として用いられていた縦横2-3㎝の粘土札の中にシャマシュ神の姿を見ることができるからだ(古代オリエントの神々 60-1p)。
ウトゥ神の権威は高かったもののヒッタイトではアリンナ(所属不明)の太陽女神、天の太陽神および地の太陽女神と三柱もの太陽神が併存していた(古代オリエントの神々 47-8p)。そのため太陽神として位置を不動のものとして確立し続けられたわけではない。
余談
ウトゥ/シャマシュ神は七大神における永遠の六位で(というか六位までは固定なのだが)あり、かなり偉大な神のはずなのだが、今まで調べてきた私の所感では、七大神っぽくない。メソポタミアの七大神は全体的になんでもありな感じが強いのだが、彼の能力は非常にまとまりがよい。記述していない彼のマイナーな役割も幸福と長寿を授けること、季節を管理することと人にとって良い方向にまとまっている。
メソポタミアの下位の神はそれぞれの役割に応じて場面ごとに祈られるのだが、ウトゥ/シャマシュ神にもその傾向があり、比較的万能感は薄い。
また、サルム(Salmu)神はウトゥ神と同一視される神と前述したが、Salmuという名称は神の名以外の場面で使うと「イメージ」「表現」「代表」という意味になり、メソポタミアでは星座が天にいる神の写しであると思われたことから「神」の「表現」ということで星座も意味する語である。あくまで語彙の話であり、神自身とは関係がない。
主要参考文献
小林登志子『古代オリエントの神々ー文明の興亡と宗教の起源』中公新書、2019
J.A., Cunningham, G., Ebeling, J., Flückiger-Hawker, E., Robson, E., Taylor, J., and Zólyomi, G., The Electronic Text
Corpus of Sumerian Literature (http://etcsl.orinst.ox.ac.uk/), Oxford 1998–2006.