メソポタミアの聖職者達

単純にリストと役職を書き連ねた形の記事を書きたかったもののどうしても我々と時を隔てていすぎて補足説明にかなりの時間を要することをお許しいただきたい。順に我々のイメージと彼らが異なっている点を挙げていく。

まず、聖職者はただ勤め先が神殿というだけで通常の職業と同じような扱いを受けていた。神人同形観といって神を人と同じようなものを所望する存在だと思っていた彼らはただ勤め先が王宮ではなく神殿だというだけだったからである。

そのためメソポタミアには「神官」といった一般名詞は存在せず、通常の業種のようにいくつかの別個の職名が存在した。神は人と同じような生活を送っていると思われたのだから、当然彼らの神殿に仕えるものの職種は王宮に仕える職種ほどもあり、神殿の周りには家具屋や金工職人、法札業者などが住んでおり、必要に応じて呼び出された。それらはそれぞれ神に仕えてはいるものの十把一絡げにできるものではなく、さらにその種類そのものも非常に多かった。

しかし特別重要で広く知られていたものを除いてその役割などはほとんど分かっていない

またこれはメソポタミアが特殊な例であるが、我々がイメージするような厳しい戒律はメソポタミアにはなかった。聖職者だからといって~~を食べないだとか、男女の関係を持たないだとかそういう生活面で縛りを設けられることはほとんどなかった(ボテロ 198p)。これは道徳律が宗教に介入していないからで、人間の行動は神にとって取るに足らないものだと考えられていたからである。

しかし一部には結婚を禁じられた男性や女性もいた。理由は特定の神殿の特定の場合、その神殿に祀られるのが男神であれば女性、女神であれば男性が最高神官、あるいは祭司長となり華美な装飾が施され神の結婚相手とみなされたからである。

身分の高い聖職者達はしばしば世襲聖制であったがときおり卜占によって告知された人物が務めることもあった。古い時期には王も祭祀を担当したがその役割は徐々に薄れ、名誉的なもののみとなった。聖職者は通常の人同様に結婚し、神殿で暮らす以外は通常の生活を送っていた。神官等は非常に複雑な仕事をこなす必要があったため、読み書きの技術は必須であり、神殿の中には神官向けの学校と図書館があったと考えられている。メソポタミアの知的活動は全て最終的には神学に帰ってくるため神殿が知的活動の中心地であることは不思議なことではない。

しかし全市民から尊敬を集めていたというわけではなく、民間の人々の文書の中には時々神官を揶揄するようなものがある。

男性の聖職者

男性神官の中で最も高い地位はシャングー(šangû)であった。あるいはサンガとも呼ばれ、最高行政官として神殿に仕える存在であった。王はシャングーを通して各地区を支配した。

哀歌を詠唱する役目を担ったシュメルのガラ(gaka)/アッカドのカル―(kalû)P202、「聖塗油式」に関連したパシーシュ(pašîšu)(ボテロ 202p)など膨大な量の役目があった。

女性の聖職者

こうした女性が身分社会に積極的に組み込まれている文化はシュメルのものであるが、比較的男性中心色の強いアッカドの時代になっても女性神官の役割はそれほど大きな影響は受けず、メソポタミアの人々は異民族の宗教の後進性を指摘する際に「女性の神官がいない」ことを問題にした(ボテロ 200p)。

高い地位を持つた女性神官も数多くいたが、一部の身分の高い女性神官(シュメルならニン・ディンギルnin-dingir、アッカドならエントゥentu)は神々にのみ身を捧げているとされ、子を持つことは禁じられていた(ボテロ 197p)

高い身分の女性神官等は高い教養を身に着け美しい詩歌も読み、針仕事をしたり神殿の仕事をこなしたりしていた。例外的に、シュメル語のルクル(lukur,神殿奴隷)、アッカド語のナディートゥ(nadîtu,放棄されたもの)は厳しい環境に置かれ酒場などに出入りする事を禁じられ一種の修道院に隔離された(他の聖職者は聖職者だからといって酒場に言ってはならないなどの制約はなかった)。

神殿娼婦

メソポタミアの神官というとよく知られている儀式がある。あの有名なヘロドトスが「女は誰でも一生に一度はアプロディテの社内に坐って、見知らぬ男と交わらねばならぬことになっている」(『歴史』巻一、一九九)と述べ、バビロン人の破廉恥な風習であると蔑んでいる。この場合のアフロディテとは同じ神格を持つイシュタル女神のことを指す。

しかし実際にはイシュタル女神の神殿娼婦達が守護神であるイシュタル女神の神殿に出入りしていただけであって、ヘロドトスのいうような儀式は存在しなかった(小林 73-4p)。だがヘロドトスは直接見てきたという点と当時資料は少なかったといった理由、またセンセーショナルであるという点からこの儀式は事実とは裏腹に知名度が高まっている。嫌んなっちゃうね。日本語翻訳された文章でもたまにこの儀式があったものとして扱っているものがあるので注意されたし。

しかし神殿娼婦は実在した。ただしそれらは自由恋愛の女神であるイナンナ/イシュタル神のいるウルクの神殿においての話である。彼女らの売春は宗教的意味合いが強い儀式であり、そこで勤めていた神殿娼婦等は単なる娼婦とは区別されて考えられた。時代が下るにつれ他民族の影響を受けるようになろうとイシュタル神の女性神官達は売春を職務として貫いた。

神殿娼婦は神殿と関係のない娼婦(ハリムドゥ(harimtu)サル・カル・キド(sal-kar-kid)等「隔離された者」やシャムハトゥ(šamhatu)「遊び女」より良い存在とみられていた(ボテロ 201p)。

というのも教育が貴重であった時代において彼女等神殿娼婦は、幼少期から神殿で教養を積み、読み書きができ、詩歌を読むことさえあった。彼女等は売春に携わっていない間は針仕事などをして時間を過ごすこともあり、また非常に信仰熱心であった。ヘロドトスは彼女等の様子をみて破廉恥であると揶揄したが神殿娼婦達は信仰と常に真剣に向き合い、研鑽を積んでいたエリートであり、儀式の主役を演じることも多かった。

彼女等神殿娼婦の呼び名は多様で、シュメール語のヌ・ギグとヌ・バル、アッカド語のクルマシートゥはいずれも語源が不明で翻訳が不可能である。反対にアッカド語のカディシュトゥ(qadištu, 捧げられたものの意)とイシュタリートゥ(ištarîtu,イシュタル女神に帰依した女)は意味が判別可能である。

また男性向けの男性娼婦もメソポタミアの地では多くいた。メソポタミアにおいては他者に危害を加えない場合同性愛が完全に許容されていた。男性版宗教的売春婦としてアッシンヌ(assinnu)、クルガッルー(kurgarrû)、クルウ(kulu’u)(ボテロ 203p)etc.の名前が挙げられる。彼らは男性神官の職種名として描写されるが売春以外の仕事にも参加していたのかは分かっていない。

彼らは残っている文献によると、女性用の衣装を身に着け、手には男性の象徴とされた武器と女性の持ち物とされた糸紡ぎの紡錘を持ち性的二面性を演出しながらイシュタル女神を褒め称えながらいかがわしい舞踏を演舞したという(ボテロ 203p)。

祓魔師

祓魔師はシュメール語でル・マシュ・マシュ(lú-maš-maš)、アッカド語ではアーシプ(âšipu)は宗教家と他の職業の境界が曖昧であったメソポタミアにおいてほとんど唯一の職業的宗教人であった。

彼らは何百もの罪にあたる行為と、それを祓うための儀式が書かれた何百ものタブレットを所有しており、相談を聞くと儀式に取り掛かった(ボテロ 330p)。医師として病を実際に治すことはなかっただろうが、彼らはカウンセラーとして頼りにされていたとものだと思われ、時に神から委任を受け自身が権限を持って不幸を祓うことができると儀式のなかで唱えることもあった。また治療後は患者に処方箋のような形で護符を与えたり、助言を与えたりもした。

当時の人々にとって祓魔のお守り、処方箋といえばまず円筒印章が挙げられる。円筒印章の持つ役割は様々だがその中に実は魔除けの意味を持つものがあった。貴重な石材には意味があり、ラピスラズリには権力と神の恩寵、水晶は富と名声といった意味があり、魔除けとしての役割を持っていた。それは同時にアクセサリの役目もしており、胸部にピン止めされた姿や、ネックレス状に改造された円筒印章が見つかっている(小林 90p)。

諸々の不幸の擬人化である魔物的存在を祓うために、メソポタミアにはメソポタミアより古代の呪術から影響を受けた祓魔の儀式が存在した。多くの苦難によって苛まれた人々にとって最も重要な疑問は「なぜ私に起きるのか?」であったそうで、その苦しみを解明するために古代の呪術を用いて、祓魔の儀式が作られたようだ(ボテロ 307p)。祓魔は効果がないことも多かったが、理由は何らかの存在が介入した、だとか儀式した側の人間に不備があったなど祓魔の儀式が疑われることはなかった。

実際には神官としての彼らの地位は高くないことが分かっているが、多くの人々が彼らに救いを求めて立ち寄ったことが知られており、彼らがメソポタミアの生活史で重要な存在であることは間違いないであろう。また神殿で行われる重要な祭儀において浄めの儀式に関わったことは分かっているが、彼らが神に対して行ったそれ以外のことはほとんど分かっていない。

祓魔師等は好んでアサッルヒ神を信仰した。アサッルヒ神は祓魔の守り神であり、『創世叙事詩』の結論部にてマルドゥクに吸収された古い神の一人であるものの、祓魔師等はマルドゥク神の事をアサッルヒ神と呼び続けた。

主要参考文献

小林登志子『シュメルー人類最古の文明』中央公論新社、2005

ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001

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