メソポタミアのパンテオン

個人的に規模や信仰された期間と知名度が最も釣り合っていないパンテオンだと思う。しかしメソポタミアのパンテオン自体は特有の魅力も多く非常に面白い。都市毎に主神が異なる現実の勢力と神の力がリンクする他宗教の神がパンテオンに加わるなどはいずれもメソポタミアのパンテオン特有のものであり興味深いものである。しかし、そのいずれもがメソポタミアの世界観理解を妨げていると思う。このページではそれらの情報を整理して、分かりやすく出来ればと思う。

例えばギリシャ神話であればゼウス、日本神話でいえば天照大神のような分かりやすい主神がいればもう少し記憶しやすかったかもしれないが、メソポタミア神話では都市によっても時期によっても主神が異なる。しかしだからこそ現れる面白い点もいくつもある。

例えば今でも根強い人気があるファンタジー戦記物ではかなりの割合で宗教が扱われている。○○教国だの聖女だのは魔法がないリアル思考の戦記物でもファンタジー色マシマシの戦記物でも頻繁に登場し、その多くは宗派はもしくは崇めている神そのものが違い、それが争いを産んだりするのがお約束である。しかしメソポタミア宗教では「同じ宗教観を持った国同士の興亡」によって神々の序列が上下する

メソポタミアで起きた神々の移り変わりは現実の世界と強くリンクしており、ともすれば神話の世界の戦闘が現実に起きたようにも考えられる。数百を超える神様が偉くなったり、忘れ去れたり…そうした要素もメソポタミアの宗教の理解を難しくしているのは間違いがないだろう。確かにややこしいが、我々のイメージと異なる信仰の動きは非常に面白い。

またメソポタミアのパンテオンは非常に特異な点がある。それは神の数がともかく数が多いことである。ディンギルのついたものを神として扱うのであればなんとメソポタミアのパンテオンには3000柱以上の神が存在することになる。事実ダイメル神父(A.Deimel)が1914年に出版した『バビロニアのパンテオン』(Pantheon Babylonicum)には3300柱もの神の名前が挙げられている。

なおメソポタミアでは神の名前の前には必ず「星」を表す文字をつけて表した。「神」はシュメール語でディンギル(dingir)というため、我々はこの記号をディンギルと呼んでいるが、どうやらこの記号はメソポタミアの民には声に出して読まれることはなかったようだ。

この文字をつけられたという事は人格をもった神ということになるはずだが、病や苦難などの不幸にもディンギルが付与されている。低位の神なのかもしれないが、彼らは神々のリストには加えられておらずディンギルは神のみを示すのでなく人格を持った超自然的存在を指すのかもしれない。が、実際のところ彼らの考えは分からない。例えそうだとしても神の数が非常に多いのは間違いない。

都市神

またもう一点メソポタミアのパンテオンが特殊である箇所としてそれぞれの都市国家にある「国家のパンテオン」が挙げられる。

まず第一にメソポタミア全土の都市で存在すると考えられていた神はおおよそ共通であった。この規模の土地で共通したパンテオンが何千年も信仰されたこと自体珍しい、のだがメソポタミアにはさらに各都市ごとに最も権威ある神が異なるという非常に特徴的な形質がある。

都市国家が形式として安定しだした前3000年紀には少なくとも都市国家はそれぞれのパンテオンから一人を選び世界の王として据えることとなる。
エリドゥ→エンキ
ニップル→エンリル
ウルク→アン、とその聖娼イナンナ
ウル→ナンナ
ラルサ、シッパル→ウトゥ

こうして事実だけを羅列するとあまり面白くもないが都市の特性と神の特性も加えてみると非常に面白い。それぞれの都市の特性と神の特性については別項を用意させて頂いている。それぞれの都市が自国家の都市神に対してひと際大きな神殿を築き、さらにはその神に持っている所帯の神像も神殿に祀られたりと大事にされていたことは違いないのだが、最も崇められていることと最も偉いと思われていることはまた別であった

まず、それぞれの都市でアン神、エンリル神、エンキ神といった古く偉大な神々、いわゆる三大神はどこであろうと信仰を捧げられていた。アン神やエンリル神はパンテオンのピラミッドの頂点として扱われることの多い、いわばゼウスポジションの神であった。それは別の都市神を持つ都市国家であろうとおよそ変わらない。

分かりやすい例でいうと、エンリル神の息子とされている神を都市神として崇める国家は「偉大なるエンリル神の子」であることを喧伝し、エンリル神より偉大だとは言っていなかった。しかし彼らは最も偉大なエンリル神ではなく彼らの都市神を崇めた。分かりづらいだろうか。

きちんと理屈を紹介したいと思う。まず彼らは神の意識を信じており、神殿に住んでいる神が人間と同じように日々を生きていると思っていた。都市神という制度は神が自分の意思でその都市を守っているという考えの上に成り立っており、いわば専属の護り手であった。なのでエンキ神を主神に据えた都市エリドゥ以外が後からエンキ神を都市神にしたいと思ってもそれはできなかった。それはエリドゥに義理があるわけでなくエンキ神がエリドゥを守護都市として選んだと考えたからだ。

しかし、何故か都市神が被っている都市もあるし、自身の都市が崇める都市神が最も偉大な神であると主張する都市もあった。何事にも例外はあるということである。

バビロンはマルドゥク神を最高神に据えている。ハンムラビ王はバビロンの地位が高まったとき様々な文書でそれまで知名度の低かったマルドゥク神を一気に主神まで押し上げた。都市アッシュルの都市神はアッシュルの土地そのものであるアッシュル神であり、アッシュル帝国期には人気書物の主神をアッシュル神に書き換えて発布していた。

パンテオンの形状

先ほども述べた通りメソポタミアには3000柱を超える神々が存在する。では実際にこれらの神々が全て信仰されていたのだろうか?我々が手にすることができる民間の記述と照らし合わせる限り、時代によって差があるだろうが実際の民間人が日常的に崇める神は30神ほどだと思われる。

基本的なパンテオンの構造は王として主神を据えたよくあるピラミッド構造であるが、かつて主神であったアン神、主神のエンリル神、知恵を統べ神々や人類を創り出したエンキ神は三大神などと呼ばれ一括りにされることもあり、王となる主神だけが飛びぬけているというわけではない。時代によってはその下に五大神と呼ばれる神々も存在した。

神々の全体(パンテオン)を指す呼称としてはアヌンナク/アヌンナキ(Anunnaku/Anunnaki’)、意味は「貴公子の子供たち」、イギギ/イギグ(Igigi/Igigu)(言葉の意味は不明)が用いられた。初期のテキストではアヌンナキが神々の主導者、イギギが神々の労働者という意味合いで使われていた。しかし、その後なんの因果か意味は逆転しイギギが最も有力な神を指し、アヌンナキは冥界に住む下方の神々を指す言葉になった。理由は分かっていないが、前者の時代の方が長く有名な書物も多いのでこのサイトでは前者の意味でアヌンナキ、イギギという語を用いる。

またパンテオンの形状を指してピラミッド構造と呼んだが、正確にはピラミッドが二つ並んだ形といえるかもしれない。メソポタミアの考えでは冥界には地上と同じ数の神々があり、同様の勢力を築いていると思われていた。例えば重要な書物の一つである『創世叙事詩』では、神は地上に300、地下に300の神、合わせて600の神がいるという事になっていた。600は当時のメソポタミアで用いられていた十進法に六十進法を併せた数字の数え方で一度に表せる最大の数である。

彼らの考えでは冥界の神々は地上の神々の下部組織ではなく、冥界の主神は地上の神同様豪華な暮らしをしていると述べられている。しかし記述ではそう述べられているものの実際に冥界の神で信仰を集めた神はそれほど多くなく、形式上のパンテオンと実際の信仰が噛み合っていないことのいい例である。

シュメール時代には男女の社会的地位がそれほど違っていなかったのでエレキシュガル(シュメール語で大地の女王)が冥界の主神となったが、男性中心社会のアッカド人の時代になると男性神ネルガルが登場し、エレキシュガル神は彼に負けた後、惚れて伴侶になり冥界の支配者を譲ることになる。

パンテオンの変化

メソポタミアのパンテオンの成り立ちはオリエント各地の信仰の集合体である可能性が高いと思われている。宗教の発明は当然文字の発明に先んじているので我々はどの民族がどの神を信仰していてどのようにパンテオンを形成したのか知ることとはできないし、今後も不可能だろう。一応シュメール語の名前の神がかなり多いのでシュメール人の信仰の影響が大きいのだとも言われているがやはり断言はできない。

それでも我々が辿れる彼らのパンテオンの流動性はこの説に説得力を持たせるのに十分なものである。その変化は必ずしも適切に辿れるわけではないが、主要な神様が変化したり、他民族の神を受け入れるのはシンクレティズム、混淆主義の歴史を感じさせる。

こうしてパンテオンが成熟するまでどれほどの期間がかかったのかは分からないが、ボテロ氏の考えだとシュメール人によって統一される前から各地の集落に既にはある程度のパンテオンや世界観があり、それらが大きな政治単位によって統合されるにつれパンテオン同士も混淆され、より複雑なパンテオンが出来上がったのだという。この時期に同じくどの神々がどの神々の親族であるなどの設定も作られていったのだと思われる。

都市国家が作られ始めるジュムデド・ナスル期に入ると、パンテオンが再度構築されることになるが、そうした際にパンテオンの上位の神として選ばれたのは影響力の強い土地の土地神であっただろうと思われる。栄えた都市エリドゥの神がエアであったり、当時強大であった都市ニップルの都市神はエンリル神であった。この考えではメソポタミアのパンテオンは始めから現実の勢力と共にあったことになる。エンリル神はメソポタミア南部共通のパンテオンにおいてかなり早い時期(詳細は不明)から主神とみなされていた。

メソポタミアでは度々神々を序列順に並べたリストが発掘される。これらは神の名前が同一であっても順序が違えば無視していいようなマイナーチェンジではない。時代が異なると同じ物語でも多少の改変が見つかるというのは当然の話だが、当時の神学者たちは自らの考えに従って神々の現在の勢力図に思いを馳せ、故意に何度も序列を入れ替えていた。そのため書いている神の数と内容がが全く一致したリストであろうとその順序が異なっていれば全く違った意味を持つリストになるため、収集することに非常に意味があるの文書群である。こうしたリストは神名目録とも呼ばれる。非常にかっこいい

今後はこうしたリストの情報も参考にしてパンテオンの変化を追っていきたい。

最古の宗教によると、これらのテキストで最も古い例はファーラ/シュルッパクおよびテル・アブ・ツァラービフの遺跡から発掘されたものであるという。それは前2600年頃に作られ、およそ560名の神名が序列順に並んでいた。前2600年頃というと初期王朝時代であるが、このテキストでは

アン神、エンリル神、イナンナ神、エンキ神、ナンナ神、ウトゥ神

という昔ながらの安心する作りでリストが構成されている。イナンナ神とエンキ神の位置が前後するかもな~くらいである。しかしその後の神の名前は雑多に配置されており、名前しか分からないものも多い。この最古のリストはシュメール系のものが多く、アッカド系の神は3点しかいない。しかし元々アッカド語固有の神は少なく採用を拒まれていたというわけではなさそうだ。事実、後にアッカドが支配者になった折にはシュメル語からアッカド語に翻訳されていても多くの神は採用されなかった。アッカド語の人々はシュメル語の人々と比べて一部の神に権力が集中することを好んだようだ。

次に有名な神名目録が作られたのは1000年後のバビロン第一王朝時代の『アン=アヌム』である。6~7枚の石板で構成されている。こちらには2000を超える神名が含まれており、一部の神名がアッカドの神である。このリストが登場するまでに数多くのリストが存在するが、明らかにこのリストの普及率が高い。こちらのリストではシュルッパクの石板とは異なり、最初の四大神の後に第二の四大神が名を連ねている。シーン神、シャマシュ神、アダド神、イシュタル神である。第二の四大神の後にはニヌルタ神やネルガル神が続いた。

最初のリストと同じ名前がほとんどないわけだが、これは標準的に使われた言語がシュメール語からアッカド語になっただけである。アンがアヌ、ナンナとウトゥがシーンとシャマシュなどほとんどの神で名称の翻訳が行われている。しかし名前の変更はシンクレティズムとは全く別の現象であると考えるべきだろう。

そして6~7の石板で構成されたこの目録であるが、これは7つ目の石板がマルドゥクについての追加記述に充てられているためである。突然だがメソポタミアで最も有名な都市といえばバビロンではないだろうか。レゲエでバビロンシステムといえば巨大な権力の意味があるくらい巨大国家のイメージがある都市である。マルドゥク神はそんなバビロンの都市神だったのだが、メソポタミアの歴史においてバビロンは最初から大きな都市ではなかった。そのためマルドゥク神もパンテオンのそれほど上位には置かれていなかった。

しかし、ご存じハンムラビの治世バビロンはメソポタミアにおいて高い地位を獲得した。その時バビロンでしか有名でなかったマルドゥーク神が、ハンムラビ法典の冒頭においてエンリル神がエンキ神の長子たるマルドゥクに全権力を託したのだと明記されたのだ。人々の権力争いが最も分かりやすくパンテオンに影響を示した事柄だといえるだろう。

なおマルドゥク神の前に、ウル第三王朝では初代王ウルナンムがウルの王になってから「シュメールとアッカドの王」を名乗ってから王都ウルの都市神ナンナの地位を高くしようとし、エンリルの長子とした。しかしマルドゥクに乗っ取られるまでそれほど時間が経っておらず成功とはいえない。

バビロニア時代のメソポタミアでは『最高賢者叙事詩』が作られた。ここでは特異な例である神が統合が見られる。今まで神話で活躍していた神々が実はマルドゥク神の別名であるとされたのだ。これにより知名度のなかったマルドゥク神が主神として活躍する正当性がいくらか確保された。それでいいのか。

こうしてマルドゥク神はエンリル神の代わりに神々の王として受け入れられたが、依然としてエンリル神を最高神と考える人々もいた。両者間で争いがあったのかは分からないが、メソポタミアの歴史を鑑みるにそれほど争いはなさそうに思える。

メソポタミアのパンテオンの終焉は新たな神に引き継がれ、名前が失われていったことによって起こった。このような例として、ヘロドトスやベロッソスといった名の知れた歴史家が、大洪水神話の説明に際して、エンリルをクロノス、マルドゥクをゼウスとギリシャの神に改めている。もちろん彼らは混合視してしまっているわけではない。比喩として分かりやすいようによく知っているゼウスなどの名前を使っているのだ。ギリシャの時代では汎神論は一般的な概念であり、他宗教の神は一つの研究の対象でしかなく、私が今各宗教の神の名前をリストアップしていることと同様に、メソポタミアの神は歴史の1ページに過ぎなかった。。

混淆主義(シンクレティズム)

メソポタミアの宗教が我々にとっては特異に思えるのはここまでで分かっていただけただろうが、最後にシンクレティズムの話をしたい。要は他の宗教の神々を自身のパンテオンに加えるという特徴のことであるが、彼らは周囲の敵対勢力である蛮族達に対して猿とまで呼んでいたのにも関わらず、その蛮族が信奉していた神に対しては一切ケチをつけずに、自分たちのパンテオンに加えている。

彼らの考えは分からないが、何故か他国家の神であってもそれらが実在するかの議論がなされることはなく常に併存の道が選ばれた。あくまで素人の私の意見だが多神教の日本でも時折こうした他宗教の神の信仰は見られるし、同じようなことだろうか。

考えてみればメソポタミアの宗教はそもそも最初から複数のパンテオンが合体して作られたものなのだから異様に他宗教に寛容でも不思議はないかもしれない。しかしここからがちょっと異様になってくる。

メソポタミアも崩壊間近には多くの国と交友を持っていた。それらの諸国にも当然信仰している神々がおり、多くの宗教はそれぞれ世界を統べる存在の神が崇められている。そうした神々についての記録がメソポタミア内でしっかり残っており、それらの神については「世界を統べている」といった記述がしっかりとなされおり、メソポタミアの神々とはしっかりと分けて考えられている。

他の国の神々の神殿や神話をメソポタミア文明の人たちが作ることはなかった。他のあらゆる国に自身のものと同じようなパンテオンが存在していて、マルドゥク神やエンリル神と同じ役割の神がいるという違和感をどのように彼らが受け入れたのかは是非知りたいものである。我々が知ることのできる彼らの考えの一端は『最高賢者叙事詩』の記述にある。

もし人間たちがそれぞれ個人的に信奉する神々によって分かれるとしても、われわれ自身がどのような名前で呼ぼうとも、マルドゥクただ一人が、われわれの神であるように!

これは神々がマルドゥクに対して述べている賛辞だが、神々の名前が多岐にわたることだけではなく、人類が異なるパンテオンを有しているという考えが既に存在したことを示している。彼らはその世界の中心にマルドゥク神の存在を据えながらも他民族に彼らの神の権威が届いていないという問題に対して、他民族のパンテオンも名前を変えただけで同一の神であると考えることにしたのだと思われる。

参考文献

ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001

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  4. シュメール人

  5. 『創世叙事詩』(エヌーマ・エリシュ)

  6. メソポタミア文明の神々

  7. アン/アヌ神

  8. マルドゥク神

  9. エンキ/エア神