メソポタミアと洪水物語

洪水物語とは物語の類型の一つで、人類を滅ぼすほどの大洪水が起きた際に、神の庇護を抜けた人間のみが生き残る物語の形である『ノアの箱舟』のルーツとして注目を集め、今でも活発な研究がなされているテーマである。

メソポタミアにはいくつか洪水物語が存在し、主たるものとしてシュメル語の『エリドゥ創世記』、アッカド語の『最高賢者叙事詩』(アトラム・ハシース)、そして『ギルガメシュ叙事詩』が挙げられる。

これらは洪水物語をメインに描いたものではなく、挿話の一つとして登場するがそれぞれ焼き直しではなく明確な差異が見られ、そこには意図が見えなくもない。ここではそれぞれの文書に登場する「洪水物語」の部分に焦点を絞りその差異と理由を紹介する。

『エリドゥ創世記』

現状遡る事が可能な最古の『洪水物語』は前1700年頃から前2000年頃にシュメル語で書かれたものでニップル市の遺跡から出土した。このテキストは物語全体の四分の一程度しか残っておらず非常に断片的だが、かろうじて人間が騒がしいため人間を滅ぼさんとする神々という流れは読み取れる。パターン的にはエンキ神がジウスドゥラ王に何らかの助言を送ったパートがあり、それを受けたジウスドゥラ王が船を造り、動物を乗せ人類を守ることを可能にしたと思われるがその部分は現存していない。

主人公のジウスドゥラ王という名前はシュメール語で永遠の生命を意味し、実際にジウスドゥラはエンキ神から永遠の命が与えられ物語の最後には「楽園」であるディルムンに住むこととなった(シュメル12p)。メソポタミアは正に「名が体を表す」と考えられていた文化の国であり、少なくとも物語の登場人物の名が実際の人物の特徴と一致しないということはなかった。

例に漏れず永遠の生命という名を持つジウスドゥラ王は死なぬ存在として「メソポタミアのエデンの園」とも呼ばれるディルムンへ移住することとなる。しかしこれ以降の洪水物語でも生き残った人物が長命の存在となるのは慣行となり、『最高賢者叙事詩』のアトラ・ハシースも、『ギルガメシュ叙事詩』に登場するウタナピシュティムも長命な存在となっている。

『最高賢者叙事詩』

前1700~1800年頃にアッカド語で作られた作品である。メソポタミアではハンムラビ王でお馴染みのバビロンの第一王朝が覇権を握っていた時期にあたり、バビロン第一王朝の第五代王アンミツァドゥカ王(Ammisaduqa’ 紀元前1646-1626)の署名がある写本も保存されている。

『ギルガメシュ叙事詩』を紹介したことで知られている大英博物館の遺物修理員G・スミスが自らメソポタミアに発掘に赴き、「洪水伝説」も含む『アトラ(ム)・ハシース物語』の断片などを発見している。。

三枚のタブレット120行の長大な叙事詩で、比較的新しい部類の物語であるがゆえに、現在はその3分の2が経年劣化の影響を受けず読み取ることができる。しかしかなりの部分が解明されており、他のバージョンでは古バビロニア版、新アッシリア版、後期バビロニア版、ごく一部しか見つかっていないがヒッタイト版などが見つかっている。

これほど様々な訳が発掘されている作品は現代でもそう多くないだろう。実際に非常に人気の高かった文書でメソポタミアの美的センスと宗教的価値観を同時に知ることができる価値あるテキストである。

この作品の主たる目的は「人間が産まれる理由」と「人間が死ぬ理由」の解説である。洪水物語は主に「人間が死ぬ理由」に関わっている。

まず人類が誕生した理由は神に必要な日用品や食物などを製造するためであった。エンキ神がその製造に携わったのだが、その際に不死である低位の神の血を用いて人類を創ったため、人類の寿命は非常に長く死ぬことがなかった。そのため人類は驚くほどの勢いで増えていき、彼らの役割を果たすべく働き続けたため騒音が鳴り止まず神々の王エンリル神が眠れなくなってしまった。

彼は憤慨し人類の数を大幅に減らすべく大量に殺戮することに決めた。なんて理不尽な。エンリルは最初に疫病を送り込んだとされている。その時エンキ神はシュルッパク市の王であるアトラ・ハーシスに疫病の神ナムタル神を祀ると助かる事を教え、人類は疫病による滅亡を回避する。

疫病によって人類が滅びなかったことを知ったエンリル神は次に干ばつと飢饉を送り込んだ。しかし同様にエンキ神はアトラハーシスに天候を司る神アダドに取りいる方法を教え、人類は滅亡を免れた。

この部分もきちんと元ネタが存在する。ナムタル神とアダド神に対するこうした祓魔儀礼はこの時実際に行われており、当時の人々はこのテキストを読み、「あの儀式はこのときエンキ神から教わったものだったのか!」と楽しんだのだろう。

しかしアトラハーシス王の国の人々は救われたものの、死ぬことのない人類は増え続け、とうとうエンリルは耐えきれなくなり大洪水を起こし人類を根絶やしにすることを決めた。この後は『エリドゥ創世記』と概ね同様の流れである。

『エリドゥ創世記』には洪水のシーンはあったもののなぜ神が洪水を起こしたのかという理由は説明されておらず、後の洪水物語に出てくる概念の一つである「神の怒り」によって洪水が起きるという考えはこの作品が元である可能性が高い。

メソポタミアには様々なバリエーションの神話が存在し、『エリドゥ創世記』以外にも「人が死ぬ理由付け」となりうる作品はあっただろうが、前述の通りこの『最高賢者叙事詩』は当時の最も偉い人間の判が押されて出版されたほどのものであるので、この作品の登場によって洪水物語の類型はかなり今のものに近づいたといえるだろう。

現代でいえば解釈の割れている作品に公式からtwitterで答えが出たようなものだろうか。

それぞれの物語でエンキ神によって救われる人物名は違うものの、エンキ神が救世主となるのは三作品とも共通である。エンキ神の知恵を授ける神としての役割が発揮されているのだろう。しかしエンキ神が人類を救う理由は可哀そうだからとか信心深いとかそういった理由ではなく、神々が生きていくために人間を創ったのに滅ぼしては拙いと思うのが主な理由である。

当時の人々は神はあくまで人間の事など気にかけていない存在だと考えていたのだろう。結局その神々も人間が想像した存在であるので滅びそうになると手が差し伸べられるのだが、人類は神々に仕えるために創り出されたという設定を上手く使って人類存続の理由づけをしたのだろう。

『ギルガメシュ叙事詩』

『ギルガメシュ叙事詩』の成立年代自体はやや複雑で、詳しくは専用ページに書いているが、おそらくギルガメシュ叙事詩に登場する「洪水物語」のみに注視した場合『エリドゥ創世記』の後であることは確実で、『最高賢者叙事詩』との前後関係も恐らく後であると思われる。しかし『ギルガメシュ叙事詩』が『最高賢者叙事詩』に影響を受けている前提の記述をいくつか見つけたのでもしかしたら後で確定なのかもしれない。が、断定した記述は見つけられてないので明言は避けさせていただく。

最も最初に聖書の洪水物語の原型として発見されたのがこの作品で、その後更にこの『ギルガメシュ叙事詩』に影響を与えた作品と思われる『エリドゥ創世記』、『最高賢者叙事詩』の二作が発掘されているが聖書に直接影響を与えたのはギルガメシュ叙事詩だと今でも思われている。事実は分からないが純粋にギルガメシュ叙事詩自体が読み物として広まったのは前二作より後で、読み継がれた期間も範囲も広いのでその可能性も高いと思われるが事実は不明である。

この作品は今までの洪水物語とは毛色が異なり、洪水から免れるのは主人公ではなくウトゥナピシュティムという男性であり、洪水物語は彼の昔話という形で語られる。経緯は自身の片割れともいえるエンキドゥが死んだことで死を極端に恐れるようになったギルガメシュは不死身だというウトゥナピシュティムの下まで死から逃れる術を教わりにいく。

そしてウトゥナピシュティムの下にギルガメシュが辿り着くとウトゥナピシュティムは自身が不死身になった理由である洪水物語を語りだしたのだ。ここでの洪水物語の役割は『最高賢者物語』とは異なり不死身の人物の設定に説得力を持たせることだった。そのため物語の中では詳しい洪水の原因などは一切語られておらず、アトラ・ハーシスの名の意味が「最高賢者」であったのに対し、ウタナピシュティムは「長命なもの」とジウスドゥラと同じく長生きであることにフォーカスが当てられている。

ウトゥナピシュティムはジウスドゥラというシュメール語の名前をそのままアッカド語に言い換えたような名前であることからもこの二人は同一の人物であると扱われることも多い。ウタナピシュティムがディルムンと解釈することも可能な土地に住んでいることから、永遠の生命を得たジウスドゥラがギルガメシュにその頃の事を語ったとする解釈が成り立つ。メソポタミアでは度々こうしてある作品の設定が他の作品に持ち越される。実際のところ作者がどのようなつもりだったかは永遠に分からないが、意識を全くしていなかったというのはあり得ないだろう。

この物語での彼の役割は死を受け入れ生きることをギルガメシュに語ることであった。ジウスドゥラ王やアトラ・ハーシスの場合長命の設定はあまり活かされなかったが、ウタナピシュティムの場合長命であるゆえの人生観をギルガメシュに語ることで彼の死を恐れる気持ちを緩和しようと試みた。まあ、神の林に伐採にいくような英雄に説得が通じるわけもなかったのだが。

実際の洪水

では結局のところ洪水物語のモデルとなった大洪水は実際に起こったことなのだろうか。もし起こったのであれば場所はメソポタミアに違いない。エジプトでは定期的な洪水が起こっていたものの、多くの利点もあり、神の恵みとしての扱いを受けていた。更にはある時期から氾濫期の決まっているナイル川の洪水は民によって徹底的に管理されていた。突発的で人を一夜にして攫ってしまうような大洪水が起こるとは考え難く、実際に箱舟形式のテキストは見つかっていない。

尚、実は『創世記』には河の氾濫であるとは明記されていないうえにイスラエルには洪水を引き起こすような大河は存在しない。そのこともありメソポタミアから洪水物語が発掘された際にイスラエルで『洪水物語』が誕生した謎が解けたと思われた…

のだが、実際のメソポタミアの地層調査では大洪水の痕跡は見つかっていない。かつてはウルから洪水の際にできるような粘土堆積層が見つかっており、洪水伝説の元となっている大洪水によってこの地層が生まれたと思われていた。しかし、実際の洪水の規模を測るべく調査を行ったところ、粘土の堆積層は一定の深さで繋がっていたわけではなくそれぞれに点在しており、エリドゥに至っては粘土堆積層が存在していないことが分かった。

もちろんフィクションなのは分かり切っていたが、洪水も起こっていなかったと知ったときは少々衝撃だった。しかしユーフラテス河とティグリス河の両河が洪水を頻繁に起こしていたことは知られているため、全土を巻き込む大洪水というものはないものの一つの都市を飲み込むような洪水は起こったためその様から着想を得たのかもしれない。社会の混乱を描く『エラ神話』などにも、『洪水物語』のような形式ではないものの洪水自体は登場している。

ユーフラテス川はシュメル語で「ブラヌン」、アッカド語では「ブラトゥム」と呼ばれ、ギリシア語の「エウフラテス」と呼ばれ、これがユーフラテス河の語源となった。現代アラビア語では「アルフラート」と呼ばれている。ユーフラテス河は西アジア最長の河川(約二八○○km)であり、メソポタミア文明に必要な金属はこの河からペルシア湾をさかのぼって運ばれてきた。彼の地で最初に用いられた金属は銅であり、そのためユーフラテス河は別名ウルドゥ河(銅の河)とも呼ばれていた。洪水も頻繁に起こっておりメソポタミアの歴史では王が河の流れを変えることで洪水を意図的に起こし、戦争に利用するなどその洪水の規模も非常に大きいものであった。

もう一方の、ティグリス河は約一九○○kmのユーフラテス河と比較して短い河であるが、しばしば洪水を起こす暴れ河として有名であった。支流が山地にありそれらのが直接本流に流れ込むことによって水位が急増し、一日で四メートルほど増水することも珍しくなかったという。ティグリス河はシュメル語では「イディギナ」、アッカド語ではシュメル語を借りつつアッカド語らしく表現した「イディグラト」と呼ばれていた。ティグリスという名称はギリシア語に由来するものであり、さらにそのギリシア語もまた古代ペルシア語で尖ったを意味する「ティグラー」からの借用語である。「ティグリ」とはアヴェスター語で「矢」を意味する言葉であり、つまりティグリス河とは「矢のように速く流れる河」を意味する。現代アラビア語ではティグリス河は「ダジュラ」河という(小林7-8p)。

聖書に採用されるまでの過渡期

聖書以外にも洪水物語の形式を一部模倣した作品はいくつかある。有名なものギリシア神話のデウカリオンの箱舟伝承が存在する。

メソポタミアでは前三世紀中頃にバビロンの神官であったベロッソスを介してメソポタミアの洪水物語がヘレニズムに紹介された。アンティオコス1世が作らせたものでされている『バビロニア史』ではメソポタミアの洪水物語をギリシア神話の神々に置き換えて説明している。『ギルガメシュ叙事詩』の約千年後の作品に当たる。

『バビロニア史』の原文は存在していないが、どうやらエンキ神の役割をギリシアの大神クロノスが請け負い、ジウスドラなどの箱舟に乗る者の名はクシストロスといったようだ。

話は割とそのままで、クロノス神が洪水の存在をクシストロスに伝える。それを受けクシストロスは舟に家族と鳥獣を乗せて洪水をやり過ごした後、洪水が収まったかの確認のために鳥を放った。

放たれた陸に住む鳥は止まれる場所が見つからないと休むために船に帰ってくる。この物語では放たれた鳥は二度舟に帰ってくるものの三度目放つと鳥は帰ってこないため洪水が引いたことを知る。

これらの鳥が洪水を引いたかを確認する箇所は「ノアの大洪水」のものが最も知られているだろう。烏と鳩を放ち、鳩がオリーブの葉を加えてきた事で洪水が引いた事を知る箇所である。それが鳩のイメージ向上に一役買っていたりするのだが、実はこの場面にも元ネタが存在している。

この場面の記述はベロッソスの「洪水伝説」や『ギルガメシュ叙事詩』にもあり、鳥の種類は毎度異なっている。その他の洪水伝説にはこの部分はまだ見つかっていないが、見つかってもおかしいような箇所ではない。この部分はメソポタミアの船乗りたちの知恵に由来する。

一部のバビロニアの人々はペルシア湾やインダス河流域を介した交易路を持っていたが、この際まだ羅針盤が発展しておらず、船は沿岸沿いを進むことで陸に戻れないという事態を避けていた。しかし万が一陸地が見えなくなった時に備え当時の船乗りたちは陸鳥を船に乗せていたのだ。

使い方もまさに物語のままで方角が分からなくなれば陸鳥を放ち、鳥は陸が見つかれば帰ってこない。そうすれば見えないだけで近くに陸地があるという判断がつくというわけだ。羅針盤の役割を鳥が担っていたという逸話が「洪水伝説」には組み込まれていたのだろう(小林13p)。

ギルガメシュ叙事詩ではニシルの山に漂流したウトゥナピシュティムは鳩、燕、大烏の順で放って洪水が引いた事を知ったようだ。もしかしたら大烏が平和の象徴になることもあるかもしれない。

まとめ

こうしてみると、メソポタミアの「洪水物語」の意味は作品毎に異なっている。やはり後の作品の方が洗練されてはいるのだが、他の作品が挿話の一つとして「洪水物語」が採用しているなか『最高賢者叙事詩』は「洪水物語」が主題の一つであるゆえ純粋な「洪水物語」としては非常にクオリティの高い作品である。

しかし総じていえば洪水物語を採用した作品はいずれも大ベストセラーであり、『最高賢者叙事詩』はともかくとして『ギルガメシュ叙事詩』、ヘブライ聖書などは今でも誰もが知っているものである。更には物語の持つ意味は変わろうと話の流れ自体はほとんど変わっていない。

『エリドゥ創世記』以前のものが今後も発掘されず本当に洪水物語の原型である事が分かれば、『エリドゥ創世記』の今後の評価が高まっていくかもしれない。前1700年頃から前2000年頃の作品でありながら今でも伝わるメッセージを持つ作品を作った名も知らぬ彼に敬意を表したい。

参考文献

小林登志子『シュメルー人類最古の文明』中央公論新社、2005

月本昭男『この世界の成り立ちについてー太古の文書を読む』ぷねうま社、2014

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