メソポタミアの神人同形観

神人同形観とは信仰している神を人類と同じ形状、同じ思考回路と考える概念のことである。これは現状世界的に受け入れられている概念である。といっても日本においては動物の形をした神様や自然を信仰する考え方はにとっては馴染み深く、神人同形観はそれほど支配的とは言えないだろう。

しかし、内面的な神人同形観は全く支配的と言っていいだろう。例えば創作物で神が登場する際に人格がないという場合は非常に少ない。本来物を言わぬ存在であるはずの木などの植物が神として登場した際も突然主人公と会話を始める。

メソポタミアではそうした神人同形観が一から発達していく様を見ることができ、非常に面白い。なお神人同形観と現人神、実在の人物を神として扱う事は全くの別種の事柄であるので本項では扱わない。

神人同形観の成り立ち

残された石板や壁画から、あるいは昔ながらの宗教が続いている土地の情報から、最も古い宗教では神は人間の形はしておらず、人格も持っていなかったものだと思われる。といっても文字が産まれた時代になると既に神人同形観は発達しきっており、我々は土器などからしか先史時代の神々の姿を知ることはできない

しかし反対に有史時代の神々から先史時代の名残を見つけ、先史時代の神々の姿を推測することなども可能である。例えばメソポタミアでは神々の威光ともいえる存在であるメランムという概念があるのだが、原初の神の姿はこの威光そのものであったとする考えもある。

メソポタミアにおいて神像にはもっぱら人型が用いられていたのは確かだが、考古学者によると最も古い人型の神像は敢えて形を歪めて作られていたそうだ。これは恐らく人間と神の違いを表したかったのだと思われるが、時にそれは人間の像を作ろうとして失敗したようにも見える。彼らもそれを嫌ったのか、ある時期から神特有の目印として男性用は角飾りのついた帽子や女神用にポロスという円錐形の長い帽子が登場した。こうした神特有のシンボルが生まれてから、やがて整った人の形の神像が作られるようになった。

高名な神学者であり、アッシリア学者でもあるJ・ボテロ氏によるとこうした神々のイメージの変化を招いたのは知る必要があったからだとしている。

メソポタミアではあらゆる事象に神格が付与されていた。彼らは神越しに世界を理解していたのだ。我々は日々素朴な疑問を抱くことがある。なぜ台風は起こるのだろうだとかなぜ植物の種から新しい植物が生えてくるのだろうかだとか。彼らはそうした疑問の解消のために擬人化を利用した。

この世の原理の不明な出来事は全て、神という行為者によって引き起こされたのだと考えることで世界の謎を解き明かしたのだ。そのためには神が人間であると考えた方が都合がよかった。

更には政治も神が行っていると考えていた彼らにとって自らの支配者がどのような存在なのかは是が非でも知りたいことであった。そのため彼らは実在の支配者をモデルとし、それをさらに崇高にしたものを神格とした

神人同形観の発達

家族観の発達

メソポタミア文明には数百を超える神が存在していたが、無秩序にテキストに点在していた神々はリスト化されていき、序列順にまとめられていた。

このとき古代から存在した神々に家族が追加あるいは既存の神同士が家族だという設定が付与されている。もともと神に親など存在しないし、もちろん必要がないはずである。しかしギリシャ神話の神々にも系譜があるし、親子あるいは姉弟にまつわるエピソードも多く思いつくのではないだろうか。当たり前のように受け入れられているが神に親が必要となったのはメソポタミアの時代である。

理由としては血統が挙げられる。都市が成熟すると当然人が増える、そうすると決められた神を信仰することに理由が必要になってくる。最初は人類が抱いた自然の神秘に対する畏敬を形にしたものであった神が、長く続いたことによって畏敬の感情を持っていない人間にもなぜ敬われているのか理由を説明する必要が生じたのだ。その時には既に神は人の形をしていたので、信じるに値する点として優秀な血統というものは即座に思い浮かべられたのだろう。

こうした威厳づけのための親には全く他のテキストに登場しない新規の神が多かった。しかし威厳付けのためであるので非常に強力に設定されている。例えばかなり有名な神であるアヌ神の設定でははるか遡った家系図が制作されているのだが、彼らの設定は権威付けのために宇宙を司っているだとか、世界を創り出したとかいった性質が付与されている。

しかしそうした神々は設定のために無理やり作られたものなので設定に整合性が取れていない場面が多々見られる。二次創作作品にめちゃくちゃ強いオリキャラを出しているようなものなので、メソポタミアでは設定上強力だからって信仰されている神と決めつけない方が利口である。

組織観の発達

先述の神々のリストの中に有名な『アン・アヌム』という作品がある。そこには(おそらく神権政治とも関係して)、特別偉大な神に「補佐官」「椅子持ち」「美容師」といった召使いとなる神が追加された。もちろんこれらも歴史のある神ではなく即席で作られた神である。これらの役割はそのまま当時の王城にあった役職だと思われる。彼らは神々がどのような暮らしをしているかを想像した際に、当時最も威厳のある人物であった王を思い起こし、召使いがいるはずだと考えたのだろう。このようにして神人同形観はさらなる発展を積んでいった。

さらに言うとそれらの特徴は物語にも表れた。人類の文明が都市国家に到達する以前の物語の神々は奔放といった感じで性や争いに積極的であった。しかし、文明が進むにつれ神にも威厳が必要になり、行動に野性味は失われいった。後期の神は理想の王族像を当てはめたようなものも増えていった。形式的には高度な組織化がなされ神人同形観の進行が見られるが神々は威厳を足されるあまり人間離れし、神人同形観は単純な人と神の同一視とは乖離していった。俗にいうキャラの性格が良すぎてリアリティがないという奴である。

このようにメソポタミアでは最初はただ偉大であるだけの神に後から偉大である理由が追加され、その理由付けには現実の王を参考に血統や部下の存在が採用された。

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