ギルガメシュ叙事詩(以下叙事詩)はシュメール初期王朝時代、紀元前2600年頃に実在した(と思われる)都市国家ウルクの支配者ギルガメシュの英雄叙事詩である。叙事詩は11枚のメインストーリーと追加の1枚の全12枚からなる。
ちなみにここでは便宜上『ギルガメシュ叙事詩』が表題であるとしているが、実際には深淵を覗き見た人がこの叙事詩の表題である。
目次
登場人物
ギルガメシュとその仲間達
ギルガメシュ・・・本作の主人公
エンキドゥ・・・主人公の相棒
シャマシュ神・・・太陽神。ギルガメシュを守護する。
エンリル神・・・最高神。エンキドゥに道理を説く。
敵対する神々とその僕
アン神・・・アルルに命じてエンキドゥを創造させる。
イシュタル神・・・ギルガメシュに求婚するも玉砕。その後敵対する。
グガルアンナ・・・イシュタルがアン神より借り受けた雄牛。強大な存在。
フンババ・・・森の守り手。ギルガメシュとエンキドゥに討伐される。
旅の途中で出会う人々
ギルタブルル・・・旅のギルガメシュと出会う。蠍人間
シドゥリ神・・・宿屋の女主人。ギルガメシュに生の尊さを教える。
ウルシャナピ・・・死の海の船漕。ギルガメシュを案内する。
ウトナピシュティム・・・不死の王。洪水物謡と神々の秘密を明かす。
あらすじ
あらすじというよりはほぼフル本文です。
物語は、深淵を覗き見た人であるとして故人であるギルガメシュを讃える歌から始まる。語り手はギルガメシュの死後からその生涯を順を追って説明していくという形式になる。始め、ギルガメシュは暴君であった。彼の治める都市ウルクの民衆は困り果て、天の至高神であるアヌに訴えた。アヌは創造の女神であるアルルに頼み、ギルガメシュの対となるエンキドゥを創り出した。最初エンキドゥは荒野の獣達の共に獣のような生活を送った。その頑強さを見た狩人は父親の勧めに従いギルガメシュにエンキドゥの存在を告げた。
ギルガメシュの命令で狩人は聖娼シャムハトををエンキドゥの元に遣わした。エンキドゥはシャムハトと交わることで人間としての生き方を知る。一方でギルガメシュは見た夢を母ニンスンに解いてもらった事でやがてエンキドゥがギルガメシュの友になることを知った。
第二版にて聖娼シャムハトに連れられエンキドゥがウルクにやってくる。その途中でライオンや狼を殺し、牧羊者達を救う。ウルクの町の中に入りエンキドゥはギルガメシュと格闘することになるが決着はつかないまま、二人が友情で結ばれることになる。
ギルガメシュは「香柏(こうはく)」と日本語訳される森を守る怪獣であるフンババ/フワワの討伐をエンキドゥに提案する。エンキドゥがいくらフンババの恐ろしさを語ろうと、ギルガメシュはこれを無視し、民に重い武器を作らせ、ウルクの町民に遠征の事を告げた。
ギルガメシュとエンキドゥは結局人が近づいてはならないとされていた「香柏の森」に遠征することになった。母ニンスンに遠征の決意を語ったところ彼女はギルガメシュとエンキドゥに加護を与えるように太陽神シャマシュに祈り、護符を与えた。しかし同時にエンキドゥの死も暗示されてしまう。こうして二人は旅立つことになった。
ギルガメシュとエンキドゥがフンババ退治に向かう途中四度休息を取り、ギルガメシュの守護神である太陽神シャマシュを祀った。ギルガメシュはフンババの恐ろしい叫びにより恐怖したが、エンキドゥがギルガメシュを鼓舞することで二人は森に入ることができた。
香柏の森に到着したギルガメシュとエンキドゥの前にフンババが立ちはだかる。フンババは強力な敵であったがエンキドゥの励ましもあり、二人は協力してフンババに挑んだ。討伐自体は太陽神シャマシュの13の風の援軍もあり非常に上手くいく。二人がフンババを制圧するとフンババは命乞いをするが、エンキドゥがフンババの殺害を主張する。そしてフンババは殺害されるが、この部分は破損しておりテキストは補完されたものが読まれている。二人は香柏を伐採し、筏を組み、それをニップルの町へ運んだ。
森を征服すると、ギルガメシュは衣冠を整え、正に王たるに相応しい姿になった。すると女神イシュタルが彼に思いを寄せ、言い寄った。ギルガメシュはイシュタルの恋愛観を不実だとなじり拒絶する。そこで怒ったイシュタルは天空神アヌに嘆願し、ギルガメシュに対して罰として暴れ回る「天牛」を送る。ギルガメシュとエンキドゥは神の持ち物である「天牛」を倒してしまう。職人たちは「天牛」の角の大きさに驚き、女性はギルガメシュを称賛する。しかし、その最中エンキドゥは不吉な夢を見てしまう。
フンババと天牛を殺害したことでエンキドゥの死が神々によって決定づけられてしまった(この部分は破損しており、補完資料が充てられる)。これを知ったエンキドゥはかつて自分をギルガメシュと巡り合わせた「狩人」と「聖娼」を激しく憎む。彼はひどく取り乱したが、ギルガメシュが友として立派な葬儀をしてくれるであろうとシャマシュに告げられ、エンキドゥは冥界の夢を見るようになる。その日からエンキドゥは次第に衰弱し、最後には死に至った(この死の部分も欠損している)。
エンキドゥの死を悼みギルガメシュは長い追悼の言葉を送り、手厚い葬送儀礼を行った。葬送儀礼の内容は断片的にしか残っていないが、数々の副葬品を用意したであろうことは補足できる。
友であり、分身といっていいエンキドゥの死を目の当たりしてギルガメシュは死の恐怖に憑りつかれた。彼は不死を求めて旅に出た。目的は昔大洪水を生き延び、神々の一柱に加わったとされるウタナピシュティムに出会い、不死の秘密を聞き出す事であった。彼は途中マーシュの山で蠍人間に出会う。彼からこの山の越え方を聞き出した彼は暗黒の12ベール(約120キロメートル)を通り、貴石や果樹の輝く海辺に到着する。
ギルガメシュはその輝く海辺で酌婦シドゥリと出会う。彼女は人間として有限の生を生きる喜びを説きつつも、敢えてギルガメシュにウタナピシュティムの元に行くための方法を伝える。そのためには「死の水」を渡る必要があり、舟師ウルシャナピに案内してもらうといいと教えて貰ったギルガメシュだが、彼はウルシャナピを出し抜いて一人で渡ろうとする。しかし失敗したギルガメシュはウルシャナピを改めて頼り、櫂を作って共に「死の水」を渡る。ギルガメシュは無事ウタナピシュティムの元にたどり着いたが、彼はギルガメシュに人間は誰しもが死を避けれないのだと説いた。
ギルガメシュはどれだけ拒否されようとウタナピシュティムに不死の秘術を尋ね続け、とうとう根負けしたウタナピシュティムは自身がどのように不死を得たかについて語り始める。大洪水の際神に知恵を受け、洪水から生き延び不死の命を授かったという物語だ。この後ウタナピシュティムはギルガメシュに七日間の寝ずにいるという試練を課すがギルガメシュはこれに失敗。ウタナピシュティムは彼を送り返そうとするがギルガメシュに同情し、ギルガメシュに「若返りの草」の在処を教える。この草を手に入れたギルガメシュは歓喜し、帰路に就くが泉で体を清めている最中にその草は蛇に持ち去られてしまう。実質的にはギルガメシュ叙事詩はこの場で終わりである。
12枚目の書版は実際には本編というよりは追加のエピソードに近い。そのため少し今までの話とは毛色が違っており、物語そのものにもつながりはない。ブックとメックと呼ばれる木製品を冥界に落としたことを嘆くギルガメシュの声を聴き、エンキドゥはこれを取りに冥界に下る。しかし、冥界の掟に関するギルガメシュの忠告を無視したがために冥界に閉じ込められ帰れなくなってしまう。ギルガメシュは神王エンリルと月神シンに事情を説明したが、聞き入れてはもらえなかった。エアは冥界に穴を開けよとギルガメシュに教える。そこでギルガメシュは冥界に穴を開けると、そこからエンキドゥの死霊が出てきた。ギルガメシュとエンキドゥの間で冥界に関する問答が行われる。
テーマとモチーフ
文化英雄譚
この物語の前半のテーマはフンババの討伐に終始する。では何故討伐するのかというと、理由はあまり分からない。まるでそれが定められていた事であるかのように、ギルガメシュとエンキドゥはフンババ討伐に向かうのだ。
詳しくはフンババの項で述べるが、おそらく実際に聖域とされていた林が存在し、それを裁きを恐れず伐採したことこそがギルガメシュの偉業である。
こういったタブーとされていたことを行うことで英雄視されるようになった人物を文化英雄(トリックスター)といい、ギルガメシュはそれに該当する。実際にギルガメシュ叙事詩を禁忌(タブー)の観点から読んでいくと、彼が禁忌という禁忌を全て破っていて非常に面白い。
双子英雄譚

ギルガメシュとエンキドゥは性格も異なり、全く異なる存在であると考える人も多いが、実は裏表のような、双子のような存在として描かれている。この画像は左がギルガメシュ、右がエンキドゥであるが、服装以外ほとんど同じといっていい。これは彫師のレパートリーの問題ではなく、実際に相同と思われてこう彫られたのだろう。
この物語のような、双子の片割れが死んだためもう片方が死の国に向かうというエピソードは世界中で見られるものである。
成長譚
この物語はギルガメシュが王として成就するまでを描いた物語であり、それについては冒頭でも触れられている。まずフンババ討伐において彼の服装は立派になる。この段階で既に本文では王として敬われたとあるため、ギルガメシュがエンキドゥと出会った段階で既に立派であると考えている人が多いが、私はそれは誤りであると考える。
まず、イシュタル女神の求婚を断ったエピソードだが、現在こそギルガメシュが誘惑を断ち切ったとされているが当時の価値観で考えれば、イシュタル女神はいわば彼の都市ウルクの超太いスポンサーであり、これを蹴れば都市の滅亡は必定だった。
まだ求婚を断るだけならまだしも、ギルガメシュは必要以上にイシュタルを責めているし、ヴァージョンによっては神の持ち物であるグガルアンナの脚を切り取ってイシュタルに投げつけている。ここまでくればギルガメシュがこの段階で王として成就していたとは考えづらく、やはりギルガメシュが人として完成を迎えたのは死の国から帰還した後だと考えられるだろう。
洪水物語
この物語では途中洪水物語が語られる。『ギルガメシュ叙事詩』が注目を集めたのはこのエピソードからだ。
詳しくは洪水物語にて。
批判と解釈
ヴァージョン違いについて
叙事詩はおもに楔形文字の文化圏に伝播し、数々のマイナーチェンジが産み出された。各地に散らばった叙事詩を全て解読することは専門家にとっても難しく、まだ未解読のままであるギルガメシュ叙事詩のバージョンも多いという。月本さんの○○という本にメジャーなバージョンの翻訳が数種類載っているので様々な叙事詩を楽しみたいならお近くの図書館で借りてみると良いだろう。
その中でも一般に親しまれている(あまり周りに読んでいる人はいないが…)、ヴァージョンはアッカド語で書かれたバビロニア版であり標準版(前12世紀頃に成立)と呼ばれている。標準版は前12世紀に成立したらしく、ニネヴァの他アッシュル、ニムルド、スルタンテペからも出土し、欠損が補われた。
しかし標準版は最も古いものではなく、それ以前に古バビロニア版と中期バビロニア版があったようだ。標準版ができたのち、ヒッタイト語版とフリ語版が生まれたが、最も広く流布したものは標準版であった。だからこそ標準版なのだが
そしてこの叙事詩は数多の物語に影響を与えたりしつつ西アジアに広く流布し、月本によるとなんと前300年ほどまでは読み物語の一つとして読み継がれていたと考えられている。
ヴァージョン差も見られ、月本氏の『メソポタミアの物語』によるとアッカド語版のものは比較的文学的であり、シュメール語版のものは素朴で民話風のテーマが含まれているという。
源流
実在したと思われるギルガメシュが死んだ紀元前2600年以降、どういうわけか彼を主人公に据えた物語が幾度となく編まれた。讃えた物語ばかりではないので偉大であるだけでなく話題性のある人物だったのであろう。
それらの説話を繋ぎ合わせ、一つにまとめたのが『ギルガメシュ叙事詩』である。成立した時期は彼の死後から800年後の前1800年頃と考えられている。
月島によると最も先立って生まれたシュメル語のギルガメシュに関する物語群として、
1、『ギルガメシュとアッカ』
2、『ギルガメシュとフワワ』
3、『ギルガメシュ、エンキドゥ、天牛』
4、『ギルガメシュ、エンキドゥ、冥界』
5、『ギルガメシュの詩』
が知られているようだ。この物語の中で標準版にはフンババの話と天牛の話が組み込まれた。そしてギルガメシュ叙事詩に付属する第12版はこの4番目の『ギルガメシュ、エンキドゥ、冥界』が末尾に付け加えられた。
いくつか変更点も見られ、編み直される前のギルガメシュ叙事詩ではギルガメシュとエンキドゥは主従関係であったが、編纂された際に友情物語に代わっている。
後世の影響
19世紀半ば、フランス人とイギリス人によって古代アッシリアの遺跡発掘が始まった。1854年、イギリスの発掘部隊がニネヴァにて、アッシリア王アッシュルバニパルが建てた図書館を掘り当てた。アッシュルバニパルの図書館からは断片含めた二万点にも及ぶ粘土板文書が出土した。そのほとんどが大英博物館に持ち込まれ、楔形文字の解読が進められた。この発掘の成功によって1857年にアッカド語の解読の成功が公に認められた。現在でもメソポタミア研究が西洋ではアッシリア学と呼ばれるのはアッシュルバニパルの図書館の影響である。
しかしメソポタミア研究が即座に注目を浴びたわけではない。当時は楔形文書そのものが舐められていたというか「オレ、オマエ、タベル」みたいな文書しか書かれていないと世間では思われていた。しかしそんな中19世紀最大の考古学的発見とも言われる偉業が起こった。
1872年、イギリスの若き研究者ジョージ・スミス(G.smith)がニネヴァ出土の書版のなかからギルガメシュ叙事詩を発見したのだ。この事によって「え?楔形文字の文書にもちゃんとした文学作品あるじゃん!」となったのだ。ここからメソポタミア文書の研究が進み多数の神話が見つかることとなった。
ジョージ・スミスは当時大英博物館に勤務しており、叙事詩を聖書考古学会という場所で発表した。聖書考古学という事で、彼が発表したのは叙事詩11枚目の石板の旧約聖書の洪水物語に酷似した部分である。
そこからはとんとん拍子に解読が進み、まず1875年、第11の書板と第6の書板が翻訳されローリンソン編纂の『西アジアの楔形文字碑文集』に収められた。その後「バビロニアのニムロド叙事詩」という書においてギルガメシュが完璧と言えずとも全編翻訳された。ここまでの段階ではまだ研究者が読むことができる程度で、市井には叙事詩は届いていなかった。
その後P・ハウプトという人物によって絶え間ない粘土板の捜索によって叙事詩の全編が見つかり、雑誌「アッシリア学・セム語学論考」が公刊されたことで叙事詩の英訳が一般に公開された。彼はこの大仕事に1884年から1891年の7年間をかけた。
ちなみに最初に翻訳されたニネヴァのアッシュル・バニパル王宮出土の叙事詩は計3600行あったと思われているが、現在でも約200行しか読み取れておらず、メソポタミア各地の断片と他の書による補助資料によってストーリーが再現された。とりわけ付属の第12版はシュメール版のものがほぼ全て綺麗に残っている。
現在も古物商から叙事詩の一部が見つかったり、新たなマイナーチェンジが見つかったりといった事があったりで、まったく研究は終わっていない。
そうした中で、シュメールには叙事詩以前に「ギルガメシュ物語」と呼ばれる物が存在したことが判明した。その中にはフンババのエピソードのように叙事詩に採用されたものもあるが、「ギルガメシュとアッカ」「ギルガメシュの死」など叙事詩には含まれていないものが存在した。
また、古代都市ウガリトから新たな別の洪水伝説、「アトラム・ハシース」も発見された。
しかしギルガメシュ叙事詩は二万ある書板の中からたまたま目についただけというわけではなく、やはりメソポタミア文書の中でも完成度が高く、注目度は増す一方であった。
題材にした作品
Fateシリーズ
一昔前のRPGにたまに出てきていた記憶あり。詳細求めます。
余談
ちなみに紀元前の作品なので著作権はこれ以上ないというほど切れているが、日本語訳文のきちんとしたものは未だ無料公開には至っていない。・・・はずだ。ネットで検索すれば英訳の全編が無料で読めるが、内容の本筋自体は現在でも馴染みやすいものの表現は現在と違うため、図書館でできるだけ分厚い解説書を買った方が結果として楽しく読める。
主要参考文献
『ギルガメシュ叙事詩』月本昭男訳、岩本書店、1996