『創世叙事詩』(エヌーマ・エリシュ)

『天地創造物語』とも呼ばれている。遅くとも前1200年頃に成立していたと思われており、カッシート王朝期に書版が作られたものだが、同じ長さの七枚のタブレットから成り立ち、アッカド語の簡素な文体で描かれた長文の詩である。全1060行ほどでそれら全てのタブレットが現在ほとんど欠けることなく見つかっている

メソポタミアの物語は読み取れる形で出土したらありがたいくらいなのだが、この作品はメソポタミアのみならずその南北の周辺台地からも発見されており、それら多数の破片から復元が可能となった。それでもまだ復元できていない箇所があるというのだからメソポタミア研究が容易でないというのも頷ける。原典はニネヴァ旧址のアッシュール=バニバル王宮書庫から出土し、ロンドンの大英博物館にアッシリア語版が収められている他多数の断片が見つかり保管されている。

最初に翻訳されたのは1875年大英博物館のジョージ・スミスによるものでそれ以来多くの研究・翻訳が残っている。広くメソポタミアの宗教・世界観を知るうえで非常に重要なものであるとして名を見る機会も多い。

この『創世叙事詩』という呼称は物語を端的に表すものとして後世において我々が使用した呼び名で、古代においては『エヌーマ・エリシュ』(enûma eliš)(上の方で、ときに)と呼ばれていた。これは慣行にしたがった最初の数単語を呼び名に用いたものであり、この後には「エヌマ・エリシュ・ラー・ナブー・シャマシュ、シャブリシュ・アンマトゥム・シュマ・ラー・ザリラット」(まだ上に天は名づけられず、下に地がその名で呼ばれていないとき)と続く。

登場人物

やはり神代の物語だけあって人間は一切登場しない。

天の神々

マルドゥク神・・・主人公

アン神・・・神々の王

エンキ神・・・知恵の神

敵役

ティアマト神・・・海の神。敵のボス

アプスー神・・・淡水の神。事の発端

ティアマト・クリーチャーズ・・・ティアマトに産み出された怪物達。

あらすじ

物語は神統譜(神の家系図)から始まる。アン神がエンキ神を産み、エンキ神が妻ダムガルヌンナ神と共にマルドゥク神を産む。この最初に神統譜を持ってくる手法は後の創世物語や宇宙開闢の神話テキストのメジャーになるものである。

『エヌマ・エリシュ』の世界観では終始後から産まれたものの方が優秀であるという考えが展開される。この考えでは最も早く存在した神が最も劣っているということになるのだが、『創成叙事詩』での原初の神々は海を象徴するティアマト神と淡水を象徴するアプスー神の二柱である。「原初の存在」的なものにロマンを感じがちな我々には少々受け入れがたい考えである。

事実、ティアマト神とアプスー神はこの物語で重要な役割を持ち何度も登場するのだが、この物語において彼らの神としての特別な力は巨大であることくらいである。ティアマト神の場合魚型のドラゴンの姿であるともされており、神としての役割より怪物としての役割が期待されているようだ。

ティアマト神とアプスー神が早期の神々を産み、それらの神々のうちアンシャル神キシャル神からより優れた神であるアヌ神が産まれ、さらにアヌ神がエンキ神を産む。こうして世代を重ねた末、エンキ神の息子であるマルドゥク神は他の神より50倍優れた存在であるとされた。

ここまでは平和な日々が過ぎていたのだが、ある日アプスー神が産まれた神々の喧騒に耐えられず、神々の虐殺を目論んだ。自分の子々孫々がうるさいからと虐殺するおじいちゃん、嫌すぎである。うるさいからと虐殺を行うというコンセプトは同文明の『最高賢者叙事詩』にもあるのだが…。

最初ティアマト神はアプスー神の短慮を諫めるのだが、アプスー神は忠告を聞き入れず神々の虐殺を企てる。しかしここで登場するのが洪水物語等でも大活躍の知恵の神エンキ神である。

アプスー神の計画に気づいたエンキ神は前もってアプスー神を殺害したのだ。しかし話はそれでは終わらなかった。夫であるアプスー神の計画には反対していたティアマト神であったがいくらなんでも殺されるのは許容できなかったようだ。ティアマト神は自身の子孫が殺されるのを防ごうとしたり家族の死に怒ったり母性を感じる描かれ方をしている。

怒ったティアマト神はエンキ神に復讐を果たすために11の魔獣を生み出し、その中の一匹キングーに指揮権を渡した。キングーの他にもラハム(ブ)という怪物はこの神話以外でも海の怪物として『旧約聖書』やメソポタミアの他の神話にも登場しているし、蠍人間(ギルタブルル)などは他の神話から元々登場していた怪物である。

全員マルドゥク神に倒されるのだが、敢えて怪物を有名なものにすることでマルドゥク神の力を強調したのだと思われる。

その後は夫の復讐を果たそうとするティアマト神とマルドゥク神の戦いのパートが始まるのだが物語の本筋ではない戦闘描写自体はあっさり終わり、マルドゥク神による天地創造パートが始まる。

マルドゥク神はティアマト神のその屍から天地を創造した。マルドゥク神は死骸を干した魚のように(原文表現まま)二つに割き、半分を天、半分を地とし、網を用いて二つをつなぎとめた。つまり世界はティアマトの死骸であり、宇宙には限りある楕円形ということになるが、この部分に関しては長すぎるため詳しくは世界の仕組みの項で説明することになる。

マルドゥクは次に敵側の首領となっていたキングーからエンリル神が奪われた「運命のタブレット」を奪い返し、さらにキングの血肉から人間を創り出した。「運命のタブレット」は主神の証ともいえるべきものであり、こうしてマルドゥク神はパンテオンで最上位の存在に成り代わったのだ

テーマとモチーフ

創造神話

この物語はマルドゥク神の世界創造の過程を描いたものである。この創造物語自体はメソポタミアで一般的な考えだったかというとそういうわけでは全くなく、非常に斬新なものであった。それは解釈の項で紹介しているように、古代の段階で解説書があることからも明らかである。しかしこの『エヌマ・エリシュ』の創世譚は旧約聖書に一部が引き継がれ、世界に拡がることとなった。

よいしょ

このテキストの特筆すべき点は後から生まれた者の方が優れているという考えがはっきりと主張されていることだろうか。その理由はこの物語が基本的にマルドゥク神をよいしょするテキストであるからだ。そのためエンキ神やエンリル神といった長い期間圧倒的大多数の信仰を得ていた神に対するマルドゥク神のセールスポイントは後から産まれたことだと考えられたのかもしれない。メソポタミアに元からあった思考というわけではなさそうである。

J・ボテロはこの作品の制作意図はマルドゥク神の弁明にあると考えている1。詳しくはマルドゥクの章を参考にしていただきたいが、彼は元々それほど高位の神ではない立場から一躍最高神に上り詰めたものだからこのように長文のテキストを大量に行き渡らせる必要があったのだと思われる。

確かにこの作品はどの作品よりももっとも丁寧かつ明確に宇宙の完成について描かれてはいるが、神々の誕生、宇宙開闢、人類創造といったものの説明は全てマルドゥク神がいかに最高神に相応しいかについて描かれているといっていい。ではこのテキストは印象操作のために作られた価値のないものかと言われればそういうものでもない。そもそもほとんどの神話は印象操作と言い換え得るものであるし、このテキストの明瞭な論理と綿密さは広く受け入れられマルドゥク神を高位の神と受け入れさせることに成功している

受け入れさせることに成功したのであればそれは印象操作ではなく文化と呼ぶべきである。さらにこの作品がメソポタミアのあまりに多い創世神話の整理に役立ったのもまた事実である。この作品はほぼ形を変えずにメソポタミア全域に拡がり、紀元後五世紀のギリシャにも伝わっていた。そのためメソポタミアにおいて王道の展開ではないもののメソポタミアの創世神話を挙げるとすれば第一候補に挙がるだろう。

他に頻繁に挙げられるマルドゥク神のよいしょポイントとしては、人類創造がある。この作品においては人類を創造したのもマルドゥク神であったが、人類創造にエンキ神以外が取り掛かる事は非常に珍しいケースである。他の神話でも天地創造は他の神が行っても人類だけはエンキ神というパターンは非常に多い。しかしここではマルドゥクの父であるエンキは手助け程度に留まっており、ウェー神の代わりにキングーが素材に使われている。

またこのテキストの結末でマルドゥク神が「運命のタブレット」を手にしているが、これは全世界の運命を思いのままに操れるというメソポタミアの主神であることを示すような代物であった

この物語で主人公であるマルドゥク神にとってのラスボスは海を象徴するティアマト神であった。どうやら西アジアにおいては「海」の制圧というのは世界の秩序を保つことで必要なことと考えられていたようで、人に成し得ないことを成すという文化的英雄の一面もあったと考えられる。

創世主が海の大きな怪物を倒すというモチーフは旧約聖書の「詩編」の74章にティアマトがリヴァイアサンに形を変えて取り入れられている。これはバビロン捕囚の際にイスラエルの民が取り入れたのだと思われる。

書かれた時代背景

『エヌマ・エリシュ』は非常に斬新な主張をした、マルドゥク神信仰の主柱となるものであったが、このテキストによって完全にマルドゥク神がエンリル神の後継者と認められたわけではない。メソポタミアを見渡せばこのテキストのマルドゥク神部分を馴染み深いエンリル神のものに変えてそのままの使用したものなども見つかっており、このテキストはパンテオンを塗り替えたのだと断言することはできない。

また、新アッシリア時代(アッシリア帝国紀)にはアッシリア帝国の主神であったアッシュル神がマルドゥク神に取り変わったバージョンの『創成叙事詩』が作られている。

このようにメソポタミアのような原始宗教では神話の見解は各々の都市で異なっている。そのため国家や大神殿が新たな神話を発布しても自身の考えに適用するかは当人の考えに委ねられていた

というわけで古い三大神アヌ、エンリル、エアのパンテオンを信仰する勢力もあれば、アッシュルの民のようにアッシュル神を最高神と崇める神もあり、このテキストは単にマルドゥク神を最高神とする勢力が拡大した形になる。メソポタミア宗教の基本はあらゆる点において交代よりも併存なのである。

この物語はエンリル神に取って代わって主神になったマルドゥークの話としての認識がきちんとなされていたようで、新年を祝う祭りの一部でバビロン神殿の王権更新の儀式の際には前後にこの作品の朗読がされ、おそらく劇のような何かが行われていただろうと考えられている。月本によると最近では月毎に儀式的に朗誦されたという可能性も指摘されているという。

批判と解釈

批判については取り上げるべきものは見つからない。

解釈

『創世叙事詩』においては、マルドゥク神が原初の神であるティアマト神を討伐し、その死体から宇宙を創造する光景が描写されている。海水であるティアマト神と淡水であるアプスー神の交わりから神は誕生していき、やがてマルドゥク神が産まれる。マルドゥク神はティアマト神の死骸を二つに割き(干した魚のようであったと描写されている)、その半分は天を覆うように配置し『上方の世界』をつくり、もう半分を使って大地を作った2。ティアマト神の頭からはメソポタミア北方のコーカサス山地が生まれ、二つの眼からはティグリス川とユーフラテス川の源が生まれ(セム語系で眼と泉は同じ語を指す)。また二つの乳房から遠方の山並みが生まれたとされた3

この説は様々な面で斬新であり、過去の多くの神話と矛盾している。なんなら単体で矛盾しているような気がしないでもない。ティアマト神の死体から天地ができたのであればそれ以前はどうだったのかなど、我々には初見では理解しがたいものである。

宇宙がまさに魚の開きのように楕円形であるというのはどういうことか、順を追って解説しよう。まず当然彼らの思考では地球は丸くない。さらにこの神話ではティアマトの身体が「海水」であったのだから宇宙(天と地)は海の上に浮かんでいるという考えであった。分かりづらい場合は彼らにとって天は個体でありドーム状の天井に星や太陽が張り付けられたものであったと考えよう。

この画像じゃ分かりづらいですが、この天にも限りがあって海の上に乗ってます。

J・ボテロの『最古の宗教』で紹介されている教養人によって編まれた『神学注釈テクスト』においてはこの『創世叙事詩』の天地創造ついての補足が成されていた。ティアマトの上半分と下半分はそれぞれさらに三つに分かれ、

天の上部アヌ神の住処 
天の中部天の神々(イギギ)の住処マルドゥク神の住処もここに当たる。
天の下部星や天体の場所神々の投影図かつシンボルであった。
一番上の大地人間の幻影が収容される場所(要解説)わざわざ死すべき存在だと強調するために「幻影」である。
中間の地アプスー(広大な地下水)エンキ神の住処である。
最低部の地冥界の神々(アヌンナキ)の住処人間の幽霊もここに集まった。

ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001 131p

となっている。『創世叙事詩』の考えではこの六層建ての楕円形の世界が海に浮かんでいたというわけだ。彼らの考えでは海は宇宙よりも大きかった可能性がある。またその楕円形の端は取り囲むように山々が連なり天を支える柱の役割を果たしている。この天を支える山の概念は旧約聖書ヨブ記二六章一一節の「天の柱」や巨人アトラスとの関連もありそうである4

このような最果ての山がある海の向こう側の地域が非常に遠いことはメソポタミアの共通的な認識で、ギルガメシュは物語の中でも不死身の秘儀を探ろうと東の果てに向かっているが、このように遠く離れた場所に訪れること自体が偉業であった。それらの場所は現実の国の位置と当てはめることも可能であるが、天竺に神がいないように彼らのそれは想像の産物であったためあまり意味はない。

これ以前の作品でも海から世界が産まれるというコンセプト自体は多数存在し、淡水との交わりで生まれるという点も少々特異だがあり得ないものではない。しかしこの作品のように海の神を討伐して死骸から宇宙を創るパターンは非常に珍しい。これは前述のようにマルドゥク神の力を証明するために古い神を新しい神が倒す必要があるからだと考えられる。

ちなみティアマト(海水)とアプスー(淡水)の交わりで神が生まれるとする説以前ではナンム神という海の女神が一人で神を産み出し、やがてその子らからアン神とキ神が産まれ、創世がなされるというのがよくある創世神話の大筋であった。

またややこしくなる要素として始めのティアマト神とアプスー神から産まれる神の中にアンシャル(Ansar)神とキシャル(Kisar)神が生まれており、アンシャルはシュメール語で「天全体」を指し、キシャルはシュメール語で「地全体」を指す。しかしこれは単に名前として捉えるか、暗示的なものとして捉えるべきものであり、ここではティアマト神とアプスー神の交わりから天地が産まれたわけではない。なおこの二人はアン神の親である。

源流

人類を産み出すパートは『最高賢者叙事詩』を想起させる作りとなっている。世界観自体の大筋は他のメソポタミア神話と共有しているものの、世界誕生を理由付けしたという点でほぼ独自の世界観を展開したといってよく、源流を探ることは難しいかもしれない。

後世の影響

旧約聖書への影響は海の怪物対創造主の構図や、家系図から始まる点など非常に多く散見される。また、旧い神と新しい神の構図は、実際の影響自体は不明なもののこれ以降多くの神話で見られるようになる。

題材にした作品

Fate / Grand Orderのキャラクター・ギルガメッシュの宝具

余談

『エヌマ・エリシュ』末尾には

もし人間たちがそれぞれ個人的に信奉する神々によって分かれるとしても、
われわれ自身がどのような名前で呼ぼうとも、マルドゥクただ一人が、われわれの神であるように!

ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001 p348 ll1~3

とあり、これは他国家の宗教がマルドゥク神とは違う名前で神を敬おうともそれは名を変えたマルドゥク神であるという意味の言葉である。ちょっとずるい主張な気がしないでもない。

この時期のメソポタミアは既に外の多くの国家と出会っており、メソポタミアの人々は既にアン神やエンリル神を含まないパンテオンの存在を知っている。彼らは伝統的に他国家の宗教に寛容で他のパンテオンの神を自国のパンテオンに組み込むことすらあった。この最後の一文には彼らの混淆主義(シンクレティズム)の神髄が表れているといえるだろう

主要参考文献

月本昭男『この世界の成り立ちについてー太古の文書を読む』ぷねうま社、2014

ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001

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