エンキ神はメソポタミアの水と魔法と知恵の神である。
目次
持っていた役割
enが王を意味し、kiが大地、地上を指す。名前の意味は「大地の王」(Lord of the Earth)である。メソポタミア神話ではパターン違いもあるが天と地上、そして地下の冥界と分けられる事が多く、エンキ神はその中で人間の住まう地上の王という名前を持つ事になる。この名前の影響もあってかエンキ神は他の神より人との関係が濃い。
魔法と知恵の神であるエンキ神はその立場から、神話では人類の助けとして多くの場面で活躍した。父はアン神、兄はエンリル神とどちらも主神になった事のある神で、エンキ神もまたかなりの信仰を集めていた神だといえる。何なら主神であったアン神よりも名前を目にする機会の多い神かもしれない。
それどころか創造神としての役割があり、人間を創造した神と考えられることすらあった。
また彼は水の神でもあった。地下を流れる川アプスー(淡水)を統べるものだと考えられており、同時に地上の河川はアプスーから流れ出ずるものだと考えられていたために実際の川やそこを泳ぐ淡水魚もしばしば彼と関連付けられた。しかしメソポタミアには他にも川を統べる神が多く、全ての川が彼によって統べられていたわけではない。しかし川を支配した神の中では間違いなく最も位の高い神であるといえるだろう。
ちなみにアプスー神という神は別に存在する。書籍内においても専門の方が書いたものでなければしばしばアプスー神はエンキ神の別名であると表記されるが、必ずしもそうであるとは限らない。メソポタミアでは一般的な単語であっても神名であることを表すディンギルという文字をつければそれは神であると考えられる。
しかしディンギルを付ける前の単語と付けた後の神格が必ずしも一致するとは限らないのだ。アプスー神は作品によっては知性のない獣のような存在である場合すら散見され、知恵の神であるエンキ神と同一視するのは難しいだろう。
ちなみに同一視されてそうな作品もあることにはある、が無視してもいいほどの量である。ではアプスー神は何なんだという方のためのページは現在制作中である。
歴史
エンキ神という名はシュメル語の名前であり、セム語系のアッカド人の時代になると次第にエア(Ea)神という名前に移り変わった。一般にエア神と表記されているためそれに倣っているが、実際の発音ではイア神と呼んでいた可能性が高いようだ(ボテロ 74p)。
エア/エンキ神はシュメール語とアッカド語の呼称の違いに過ぎないという感覚は当時の人にもあったらしく、シュメール語からアッカド語での訳ではエンキ神の登場箇所がそのままエア神に差し替えられている。私は本サイトではエンキ神の呼称を積極的に用いるつもりである。がエア神と呼んでいてもエンキ神の事だと補完していただけるとありがたいです…。
反対に、カッシート朝のカムッラ(Kamulla)神は同じ役割ではあるものの別人格であると考えられる。明らかにエンキ神の影響を受けてはいるのだが、別人として扱われているのためこのサイトでは別項を用意したいと思う。
都市エリドゥの都市神である。エリドゥはメソポタミアの数ある都市の中でもかなり古い都市であり、同じくかなり古い神であるエンキ神を長い間崇拝していたのだと思われる。実際にエリドゥにあるエンキ神を崇める神殿はウバイド文化期に建てられたものが何度も改修工事を受けている事が分かっており、その信仰はかなり由緒あるものだった。
当時のエリドゥは筆記都市だとか深淵の都といった呼ばれ方をされるほど知識信仰の傾向が強く、さらにかつては湿原地帯であった場所ようだ。都市神と都市は結び付きが強いもの弱いもの様々だが、エンキ神とエリドゥはかなりマッチした組み合わせであるといえるだろう。エンキ神を信仰したからそうなったのか、元々そうだったからエンキ神を信仰したのは分からないがどちらにせよRPGの途中で訪れる町感があって非常に良い。
エンキ神の神殿は都市エリドゥに18宇あり、最も特別視されていた寺院は「エエングラ」(é-engur-a 深き水の王の家の意)、あるいは「エアブズ」(é-abzu 水の家の意)と呼ばれ、そこの地下がアプスーへの直通通路だとする考え方もあった。
エンキ神の姿
水が流れ出続ける壺を持った男性の姿で描かれることが多い。しかし姿も一定ではなく、淡水との関わりの深さから魚が連想され、壺から流れ出る水の中に魚が住んでいたり、エンキ神そのものが魚として描かれることもあった。
彼の描かれ方のパターンの一つである山羊の上半身に魚の下半身を持つ姿はスクル・マーシュと呼ばれた。お察しの方もいるかもしれないが、非常にカプリコーンに似ている。そう彼のこの山羊魚形態が山羊座の元となった可能性は非常に高い。
山羊魚はエンキ神の別の姿とされることも、エンキ神の随獣ともされる存在であったが、何にせよ見つけたらまずエンキ神を連想すべき存在であった。
神話上の活躍
人間に優しい神としての役割
エンキ神はメソポタミアでもトップ5には入るくらい信仰を集めていた神であったので、かなり多くの神話に登場する。
押さえておくべきところは、やはり複数個の洪水物語においてすべて彼が人類に事前に洪水を知らせる役目を背負っていることだろう。
単に洪水物語が有名であるというだけでなく、エンキ神の人間の庇護者的な人物であることを象徴する物語として非常に優秀であると思う。シュメル語の『エリドゥ創世記』、アッカド語の『最高賢者叙事詩』(アトラム・ハシース)、そして『ギルガメシュ叙事詩』といった有名どころの洪水物語では全てエンキ神が人類に生き延びる術を教えている。
救う理由は結局神々の為であったり単純に優しい性格だとは言えないが、当時の人々から人類の味方になりうる神だと思われていたことは想像できる。
創造主としての役割
エンキ神は別名でヌディンムド神(Nudimmud)(生成者、形成者の意味)と呼ばれたほど神々の創造に関わっていた。
メソポタミアの神の誕生には2パターンある。
有力な神はきちんとした両親の下に産まれており、それほど設定が定まっていないような神はより強力な神によって粘土などで作られたのだと思われていた。
そして後者の場合、時にアン神やエンリル神、マルドゥク神にその役割を譲ったものの、多くの場合粘土で神を創ったのはエンキ神であったのだ。
メソポタミアの神話にはあまり絶対的な設定というものがなく、神々の系譜に重きをおいた『アン・アヌム』のようなテキストであればエンキ神など上位神のハンドメイドではなく全ての神が両親によって産み出されていることもあるが、それでもエンキ神が神をも創り出す力を持っているという信仰は広く根付いているように思える。
こうした神を新たに創造するという役割は他宗教では母神が受け持つことが多いように感じるが、メソポタミアでは女性神が神を創造する際にはの子という形で産み出しており、粘土などを用いて神を創り出す男神とは明確に差別されていた。
女性神の場合は位の低い神であっても子として神を産むが、男性神で神を新たに創造できるのは最高神達とエンキ神のみである。しかもそんな強大な男性神であっても強い神は一人では創り出せないと思われていたようで、神名リストではエンキ神は妻ダムガルヌンナ神(Damgalnunna)「貴公子の偉大なる婦人」との間に子としてマルドゥク神を誕生させている(ボテロ 124p)。
このように重要な神の誕生には母神達の存在が必須であり、さらには偉大な神の母神には説得力のため母神自体も偉大であることを示すテキストが付随されることもあった。
エンキ神が一人で神を創る時の様子はそれほど描写がなく、とにかく粘土で作ったのだということくらいしか分かっていない。しかし神々もまた像によって出来た存在であるという考えは偶像崇拝に繋がっているといえるかもしれない。
ある神殿の建築の儀式の序文においては、エア神は住処であるアプスーを自ら製作し、そのアプスーから取り出した土を用いてクッラ(Kulla)神という煉瓦製造を司る神を産み出したことになっている。この後エンキ神は木工技術の神、石工技術の神などを次々と産み出し、食事の祭儀のために保管庫を作って食事の神を産み出した。そして最後に労働のために人間までもを産み出している。(ボテロ 140p)
この他にも神話『宇宙創造におけるエンキ/エアの役割』においてはエンキ神が神々に必要なものを創り出そうとしてアプスーの底の泥を用いて全世界の何もない空気に神殿、神々の家具、装身具、食料を全て作ったことになっている。しかしその際にエンキ神は無から神殿などを生み出したのではなく、まずそれぞれの技術の専門家である神を創造し、彼らに命じることであらゆるものを生み出した。
このサイトでページを個別に制作している神話ではエンキ神が人間を直接作ることは残念ながらなかったが、彼がメソポタミアの遺物の中で一人で人類を創造しているケースは少なくない。こうした様々な物語を経て、彼はヌディンムド(Nudimmud)と呼ばれるようになったのだろう。
周辺の神々との関係
妻は豊穣の女神ニンフルサグ神であり、二人の間には子がおり、ニンニシグ女神やニンサル女神といって名は様々だが、いずれも娘である。
愛の女神イシュタルに「メ」という神の所持物を渡してしまったりするエピソードも存在する。「メ」には各地の都市の掟なども記されていたらしい。また執事である神にイシムド(Isimud)がいる(ボテロ 233p)
その他逸話など
面白い説として最古の時代、エンキ神が神々の王、つまり最高神であったという説がある。この説によるとウルク文化期(前3500-3100年頃)の最古の時代のシュメル・パンテオンでは都市の支配者と考えられていた神々は女神達だったという。誕生を司るニンフルサグ神、ニントゥ神、ガトゥムドゥグ神。穀物の女神ニサバ神、ニンスト神。家畜の女神ニンスン神、魚と水鳥の女神ナンシェ神。性愛の女神イナンナ神、治癒女神グラ神、死を司る神エレシュキガル神。いずれもビッグネームであるが、彼女等原始の女神達の共通の夫として主神であるエンキ神がいたという説だ。
エンキ神はこの場合男性の生殖力の神格化であり、天空神アン神、月神ナンナ神、太陽神ウトゥ神など男性神は女神と共にエンキ神に付き従っていたということになる。
しかし時間の経過とともに男神の重要性がまし、ニヌルタ神、ニンギルス神、シャラ神、アシュギ神など新しい戦の男神達が興っていき、女神の地位が下がっていったのだという。
確証はないものの、『エンキ神とニンフルサグ女神』にてエンキ神が浮気を繰り返すシーンへの説明がこの説の場合可能である(小林 247p)。要は元々ハーレムの主人だったからというわけだ。
ここからは何の専門的な知識もない私の意見だが、男女の扱いが時代によって変わったことはシュメル人からアッカド人への人種の移り変わりが関係していると思われているが、戦争の影響による男性中心主義への進行はシュメルでもあったのかもしれないし、生殖力の神としてエンキ神が採用されたというのは私にとっては非常に納得のいくものである。
やはり淡水の川は雨の少ないメソポタミアでは命を産み出す存在であっただろうし、実際にメソポタミア神話では男性神である川が女性神である海に流れ込むことで命が産まれるという考えもあった。川の神であるエンキ神に同じことが起こっても全くおかしなことではないだろう。
参考文献
小林登志子『シュメルー人類最古の文明』中央公論新社、2005
ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001