筆頭の神にして神々の父、狼の星を象徴し、60進数にとっての最大の数字である60を表象する。
ここに挙げたかっこいい文はメソポタミアの神々のリストにおける彼の紹介文である。メソポタミアは最高神が何度か移り変わり、それが正史として残っている稀有な神話なのだが、彼はその最初期の最高神に当たる神だと考えられており、メソポタミアの全期間を通して彼は最高神としての能力は失おうとも神々の王としての立場を貫き通した。残っていないだけでアン神以前の最高神がいたとする考えもあるが、基本的にはアン神が最初の最高神であると考えられている。
具体的には前三千年紀の始め頃までアン神が最高神としての扱いを受けていた。その後はエンリル神に移り、更にマルドゥク神派閥が生まれ、後にはナブ―神派閥が少数ながらも誕生する。というようにメソポタミアの最高神は変遷していく。
他の最高神との違いとして彼は正に神の代表である存在であり、彼の名アンは天を意味するのだが、この天という文字は神を意味する限定符ディンギルと全く同じ形であったため、彼にだけはディンギルをつけなかった。某雑誌と同じ名前になってしまうという理由もあるかもしれないが、日本語の感覚でいえばウトゥ神、ナンナ神、エンキ神というなかで、単に一字「神」と記せばアン神を意味する。と考えれば如何にアン神が神を代表する存在であるか分かっていただけると思う。
アン/アヌと表記するのはシュメール語ではアンと呼ばれ、アッカド語ではアヌと呼ばれたからである。正確にいえばAnにアッカド語の名詞主格語尾を付与してアッカド人でも受け入れやすいAnuとなった(最古の宗教 73p)だけであり、別名とまでは言えないかもしれない。このサイトでは特別な理由がない限りアン神と呼称している。
正直権威の割にあまり名前を聞くことがない神ではあるが、人類最古の大神(諸説)ということで学んでいっていただければ幸いである。
目次
もっていた役割
いわゆる天空神であり、彼の名がそのまま天を指すように天の成す事は彼の行いであり、同時に神話上の活躍からも分かるように天界の王として神々に指令を与えることができたと思われる。
事実上彼には不可能はなかったはずであり、神話で万夫不当の活躍を遂げていても不思議ではない。しかし、彼を表現するに最も適切といえる神学用語は万夫不当とは対極ともいえる「暇な神」というものであった。
暇な神というとふざけた名に思えるがれっきとした神学用語としてデウス・オティオースス(Deus otiosus)というかっこいい名前の概念があり、それを訳したのが暇な神になる。ギリシャ・ローマ神話でいうとウラノスやガイアといった神々が自身の子に権威を託したようなものであり、多くの神話で共通して古い偉大な神が息子に世界を譲るという概念が存在している。
更には『エヌマ・エリシュ』においては後の世に生まれた神の方が優秀であるとされるドラゴンボールの世界観のような世界観が展開されており、言外にアン神が名ばかりであると指摘されているような形になっている。勿論これはマルドゥク神を持ち上げるために結果としてそうなっただけであり、彼らにアン神を陥れる意図はなかったと思われるが。
簡単に「暇な神」について説明すると、最初は偉大な何でもこなせる神を信仰するものの、段々人間は恐れ多くなり他の小分けにされた神が創り出し、結果として元の最高神が暇な神として「君臨すれども統治せず」といった状況になることを指すのだが、メソポタミアの例を見る限りこれと似たような例はいくつか起こっている。
例えばメソポタミアでは偉大な神に願いを叶えてもらう際には一度低位の神にお祈りして「この事をあの偉大な神にお伝えしてください」といった風に低位の神を挟むようになる。これは偉大な神に対する恐れと敬いに由来する行いだと思われるが、アン神はその偉大な神々全ての上司である。
そう考えれば人間がアン神に対して願いを述べないのも頷ける。部下が数千人いる大企業の社長に対して「社長直々に私の依頼をこなしてください」ということほど失礼なこともないだろう。
ちなみに権威は変わらず保たれていたので、儀式や神話にはその名前だけが登場し、アン神との関連性を述べた文章は誉め言葉として多く用いられた。エンリル神が「アン神の息子」として褒められたのが最たる例だろう。面白い例だとメソポタミアには「さそりの毒を抜くために刺したさそりを褒めそやす」という儀式があるのだが、そこでさそりに対して「あなたのはさみはアン神の角のように立派だ」という誉め言葉が乗っている。
ここまでいくとアン神にも失礼な気がするが、とりあえずアン神に似た要素を何かしら持っているというのは最大級の賛辞であったのだろう。
要はアン神は日本においての総理大臣のようなものである。一般市民が直接頼み事することはないがその下部組織である警察などに我々は積極的に頼っている。忙しく働いていることは分かるが何してるかはあんまり知らない。そんな感じである。
また次世代に力を託す際に彼はanûtu(アヌトゥ)と呼ばれる何かしらのパワーを託していたことが知られている。『エヌマ・エリシュ』においても神々が「あなたの言葉はアヌです!」と宣言したことを持ってマルドゥク神は最高神になった。
崇拝された場所
ウルクにある彼の神殿(通称アヌのジクラト)にはエ・アンナ(É-anna)とあだ名で呼ばれ、(天の神殿という意味)神殿そのものが褒め称えられる詩が作られるほど立派であった。しかし彼の神殿はメソポタミアの多くの地域に全時代を通して多く分布した。
しかしウルクではかなり早い段階でカルトの中心はイナンナ女神にシフトしていき、アン神はイナンナ女神に都市神としての仕事を譲ったと考えられた。
そのためアヌ神が都市神としての仕事をしっかり果たした都市はほぼないといえるのだが、忘れてはいけないのがウルクという世界最古の都市が作られた過程においては祀られていたのは彼に間違いないはずであることだ。
都市を守護する都市神としては働いていなくともこの世で最も最初の都市が出来上がるのを見届けたのだと考えれば十分立派だといえるだろう。
またDērにもアン/アヌ神を中心にしたカルトが存在した。Dērは両大河の間ではなく割と遠くにあるのだが、彼らは河を隔てた地域の神々を熱心に奉っていたようだ。
神話上の活躍
神々や宇宙の創造のクレジット欄に名前が登場することが多かった。宇宙創世の神の一人でシュメルの神話では元々天であるアン神と大地であるキ神の間に大気の神であるエンリル神が生まれ、それが世界の始まりであったと考えられている。ちなみにメソポタミアでいうところの天とは星々より上に位置する場合もあるため、アン神は宇宙の神といっても差支えはない。
彼はこのように宇宙創世に大きく関わったが人類の創造にはあまり関与していない。人類を創る原因になることはあっても実行したのはエンキ神であった場合がほとんどであった。まあ正直前述の通り、彼が神話で大きな活躍をすることはほとんどない。
『ギルガメシュ叙事詩』では娘のイナンナ女神に天牛を貸す役目を担ったが、実はこの時のアン神はバージョンによっては娘のイナンナ女神にびびっている。ここに全文があるが一度は拒否するものの明らかにイナンナ女神に押し負けている。それでいいのか最高神。
総じて具体的な活躍をした作品はあまりないが、やはり度々名前が出てくる。メソポタミア神話を個々としてではなく包括してみるとかなり強キャラ感があるので実はこれが本来最も偉い人を書く際に正しい方法ではないかというような気もする。
他の神々との関係
最も最初には彼はウラシュ(Uraš)女神の子にして配偶神であった。といってもこれは最初期に限った話で、後に両親をアンシャル神(anšar)と キシャル神(kišar)、妻をキ(ki)神に改められた。
これは政治的意図というよりは元々神々の家系図に対して真剣に考えることが一般的ではなかったからだと思われる。ウラシュ神はどうなったかというと、最終的にアン神に習合された。ウラシュ神も最高神的な性格を持っていたため同一な存在だと見なされたのであろう。しかし元妻にして元母を吸収までしてしまうとは業が深い。
妻として最も有名な存在は大地の女神であるキ神であるが、バビロニアにおいてはキ神の代わりにAntuという女神がアン神の配偶神に据えられていた。このAntuという女神は恐らくアン神の妻にすることを前提に創られた神だと思われる。メソポタミア恒例の家族設定を作るための後付けのキャラクターである。アンシャル神キシャル神も設定的にはとても強い、なんでもできる神なのだが、アン神の親として以外は登場しない。
アン神ってすげーよなー。なんであんなすげー神が生まれたんだろうなー
すげー両親がいたんじゃね。
↓
_人人人人人人人人人人人人人人人人_
> アンシャル・キシャル神の誕生 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
こうした事の連続で、メソポタミアには何もしない割にめちゃくちゃ高スペックな神が多数存在している。何もしていないことで知られているアン神だが彼はまだ働いている方である。
この家系図の発明は神人同形観の項にて語っている、神の家族観の発達の際に起きた出来事であるがこの際アン神が最も偉大な神であったため彼の親は新たに創る必要があったが、アン神より立場の下の神はアン神の子供にすれば問題がなかった。
彼の子供で有名なのは地上(大気)の神であるエンリル神と水の神であるエンキ神だろう。彼らは元々(というといつ発生したか分からない以上語弊がある。少なくともかなり早い時期から)アン神の息子であった。
しかしその他のアン神の息子だというと、ババ神、ニンギルス神、アダド神、ゲラ神、ナンナ神、ネルガル神、イナンナ神(彼女に関しては愛人だったりもした)、ナナヤ神、ニダバ神、ニニシンナ神、ニンスン神、ヌスク神とある程度地位のある神はこぞってアン神を親に指名した、が親だと考えられた。
もしアン神も自分がアン神じゃなかったわざわざアンシャル・キシャル神を創らずアン神を親に指名しただろう。このように神にも親がいると考えられた際には、自身の崇める神の親はアン神に違いない!!と考えられるほどアン神は偉大だと考えられていた。ナンナ/シン神はエンリル神の子供として描かれる神話の方が有名だったりする。設定としてはそちらの方が一般的だろう。創作に用いるなら好きな方を採用すればいいと思う俺の父親は二人いる。
彼が「神々の父」と呼ばれるのはこういった事情もあるのだ。まあ多神教では最高神が子沢山になるというのはままあることである。
随獣
随獣は牡牛であり、アン神自身も元々牡牛そのものであったかもしれない。メソポタミアでは牛は神聖な動物であったが、先史時代は更に信仰を集めていたようで神が人間の姿を取る前は神の一柱に数えられていた可能性が高い。有名な『ギルガメシュ叙事詩』の天牛のような存在がアン神の元の姿だったのかもしれない。
メソポタミアでは牛から派生した姿をした神が多いが、アン神の随獣の牛は牛そのものであった。
しかしアン神が象徴する星は狼の星であったそうだ。
描かれ方

彼を表す記号はhorned crownと呼ばれるもので、常に伴って描かれる。 このオーストラリアの100€コインの男性が被っているものがそれである。この男性はネブガドネザル二世であるが。 日本では「角のある冠」と訳されたり、「角冠」と訳されたりするが、正式な訳はなくどちらも正直完全に訳しきれているとはいえない。
こちらはスマホゲームの『Shadow verse』のカードイラストへのリンクで「角冠の王」というキャラクターなのだが、同制作会社Cygamesの『神撃のバハムート』ではアヌ神となっており非常に知見深いキャラクターとなっているのだが、角冠はヨーロッパ風のデザインとなっている。しかし単に角冠とだけいうと尖った冠全てを含むためこうなってしまうのは仕方がないといえる。
細部にこだわるのであればHorned Crownと呼んであげよう。

ちなみに横からみるとこんな感じである。またこの像もアン神ではない。アン神は立体的な像がないため他の角冠を被った人たちに頼っている。 このように角冠は男性の神であればだれでも被る可能性のあるものであるし、後の時代になると人間の王も被っていたため、アン/アヌ神を見分けるアトリビュートとは呼べない。 しかし、一説によるとこの角冠の角部分の数は偉さによって増減し、角が比較的多くついたものがアン神のものであったとか。テキストによってはアン神の帽子には80もの角がついていたという。
この帽子は崇拝対象が動物から人間に移る際に、描かれた人間が神であることを示すために用いられたものであり、要は信仰対象が牛から人間に移った際の名残である。元は祈る対象が牡牛であったため絵で描いても分かりやすかったのが神人同形観が発達するにつれて祈る対象も祈る人々も人型になったため神を表すために牛の角を付けたというわけである。
この帽子はいわば神々の象徴であり、それを象徴にしているアン神こそが神々の代表というわけである。
彼は図像に描かれることが少なく身体的特徴はほぼ分からない。玉座に角冠を乗せた絵をもってアン神とすることもあるほどだ。
後世における扱い
ヒッタイトの『クマルビ神話』においては天空神アラルから王権を簒奪するという活躍が見られる。ネット上にも様々な記述があるが私自身がまだ信用の得られるソースから語るべき要素を見つけられていないため後日追記させていただく。
余談
「暇な神」の代表例として挙げられ、wikiでデウス・オティオーススを調べると最初の例として登場しているが、流石に古代メソポタミアの人々が暇な神と呼んだという事実はない。後世に出来た概念であるし、主神にそんな失礼なことをいう宗教はないだろう。
参考文献
メソポタミアに関する記述の参考文献一覧