メソポタミアの神学者は神を序列に従ってリストにし、その勢力図を明らかにすることに多くの時間を費やしていた。彼らは長い歴史の中で幾度となく『神々のリスト』を作りそれらは教育などにも利用された。
こうしたリストは神の名前が同一であっても順序が違えば無視していいようなマイナーチェンジではない。時代が異なると同じ物語でも多少の改変が見つかるというのは当然の話だが、当時の神学者たちは自らの考えに従って神々の現在の勢力図に思いを馳せ、故意に何度も序列を入れ替えていた。そのため書いている神の数と内容がが全く一致したリストであろうとその順序が異なっていれば全く違った意味を持つリストになるため、収集することに非常に意味がある文書群である。こうしたリストは神名目録とも呼ばれる。非常にかっこいい。
目次
ファーラ/シュルッパクおよびテル・アブ・ツァラービフの遺跡から発掘された神々のリスト
最古の宗教によると、これらのテキストで最も古い例はファーラ/シュルッパクおよびテル・アブ・ツァラービフの遺跡から発掘されたものであるという。それは前2600年頃に作られ、およそ560名の神名が序列順に並んでいた。前2600年頃というと初期王朝時代であるが、このテキストでは
アン神、エンリル神、イナンナ神、エンキ神、ナンナ神、ウトゥ神
という昔ながらの安心する作りでリストが構成されている。しかしその後の神の名前は雑多に配置されており、名前しか分からないものも多い。この最古のリストはシュメール系のものが多く、アッカド系の神は3点しかいない。しかし元々アッカド語固有の神は少なく採用を拒まれていたというわけではなさそうだ。事実、後にアッカドが支配者になった折にはシュメル語からアッカド語に翻訳されていても多くの神は採用されなかった。アッカド語の人々はシュメル語の人々と比べて一部の神に権力が集中することを好んだようだ。
『アン・アヌム』
次に有名な神名目録が作られたのは1000年後のバビロン第一王朝時代の『アン=アヌム』である。6~7枚の石板で構成されており、2000を超える神名が含まれている。アッカドの神も一部であるが含まれている。シュルッパクのリストからこのリストが登場するまでの間に数多くのリストが存在するが、明らかにこのリストの普及率は他より高い。
ちなみにこちらが全文を記してくださっている外部サイトになる。専門に扱っている方でもなければほとんど意味は分からないと思われる。
こちらのリストではシュルッパクの石板とは異なり、最初の四大神の後に第二の四大神が名を連ねている。シーン神、シャマシュ神、アダド神、イシュタル神である。しかし単にそれらを偉い順に配置しただけでなく、その後に彼らの一族や部下を載せている。この頃には神の権威化は進んでおり、アンやエンリルの下につく部下には「宰相」「大使」などと記されており、現実の王の下に勤めている者達とほぼ同じようなメンバーが揃えられていたのだと思われる。例えば、アン、その後にアンの家族、部下。次にエンリル、その家族、部下。といった具合だ。ちなみに第二の四大神の後にはニヌルタやネルガルが続いた。
そして6~7の石板で構成された、と記述したがこれは7つ目の石板がマルドゥークについての追加記述であるためである。作られた当初はまだエンリルが神々の王であり、マルドゥク神は王とまでは呼ばれていなかった。そのためマルドゥク神を後から追加する必要があったのだろう。
この書物では左の欄に名前が記され、右の欄にその名前の説明が載っているという形式で構成されている。これはメソポタミアに存在した語彙リストとも呼ばれる形式で、いわば辞書のようなものであり、それらは神名目録の他にも学術書や、思考についての本など幅広く使用された。
メソポタミアの歴史全体の傾向として神の数が統合され減少していく傾向があるが、『アン・アヌム』では大きく増加している。これは先述の神の部下が追加された影響もあったが、神の先祖が追加された影響も大きい。この作品最大の特徴はリスト形式でありながら、宇宙開闢の謎に迫っていることだろう。
彼らはひたすらに神々の家系図を遡ることで世界の始まりを再現しようとした。つまり「始めには何もなかった」だとか「遡ることができないほど悠久の時を経て」といった文章は彼らの世界の中にはなく、彼らは海と家系図を利用して原初の世界誕生を解き明かした。

最高神アン神の親として作られたアンシャル神。親という設定だがおそらくアン神より後に考え出された。この画像はパブリックドメインである。
神々の家系図を最古まで遡ると『アン=アヌム』では海洋の神であるナンム(Nammu)に至る。ナンムはやがて後の時代にはティアマト(Tiamat)に差し替えられているのだが『アン=アヌム』では一般に採用されていた神である。ナンムには対となる夫は存在せず、単独で最初の神々を産んだとされている。メソポタミア文明の神話にはまだ「無からの誕生」や「永遠」といった概念は適用されていなかった。
彼らには宇宙の概念があったので海から宇宙というものが生まれたという事になるが、彼らはそれほど海に神秘的なものを感じていたのだろう。他にも宇宙創造について書かれたテキストが数パターンあるが、全てが原初は混沌や巨大なもの(まさに海など)であり、無からの誕生などを示すテキストは一切見つかっていない。
こうした世界の始まりを表現するための他のテキストには一切登場しない多くの神がここには掲載されている。
こうしたリスト形式に則った創世への結論はその後物語形式である『創世叙事詩』に委ねられ、偉大な神の親たちはその存在の必要をなくしやがてリストからその姿を消していった。
主要参考文献
ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001